「憲法改正」の胆

「憲法改正」の胆
 空気を読めない、宰相というのも、困ったものだが、臨時国会が終わるにあたって、ついに「憲法改正」を自分の任期でやる、と宣言した。これは、事実上の4選出馬宣言であり、副総理の発言も、それを補強している。このことを、知ってか知らずか、メディアは、だんまりを決め込んでいるようだ。「憲法改正」は、手段であって、目的ではないはずだが、宰相の言いぶりでは、「憲法改正」は、党是であり、それを実現するのは、自分の責務、と言っている様に聞き取れる。言っては悪いが、オウンゴールで獲った政権で、「憲法改正」を叫ばれても、国民は、しらーっ、とするしかないのではないだろうか。会見の中で、宰相は、解散を散らつかせた。しかし、このことこそ、「憲法改正」の胆では、ないだろうか。折も折、イギリスでは、解散総選挙が行われた。イギリスの「解散」は、首相が解散を提案して、議会の2/3の賛成が必要なのに対して、我が国は、宰相が、いつでも好きな時に「解散」を宣言して、「解散」ができると、信じられている。しかし、これは、真っ赤な「間違い」である。なぜならば、こんなことは、「日本国憲法」のどこにも書いてはいない。
 せっかくなので、「日本国憲法」における、「解散」を憲法条文で、確認してみよう。日本国憲法第7条「天皇の国事行為」の3項に「衆議院を解散すること」とある。しかし、天皇は、憲法第4条において「国政に関する機能を有しない」ので、第7条において天皇が、「内閣の助言により、国民のために」「解散する」ことになっている。それでは、宰相には、どんな権限があるか、憲法を見てみよう。憲法第72条「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」とあり、解散をする権利が、あろうはずがない。それでは、どんな場合に、天皇が「内閣の助言により、国民のために」「解散する」ことができるのかというと、憲法第69条が、唯一の条文である。それでは、憲法第69条を見てみよう。「内閣は、衆議院で不信任の議決案を可決し、又は、信任の議決案を否決した時は、10日以内に、衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とある。要するに、憲法には、「衆議院が解散されない限り」であって、『衆議院を解散した場合』ではない。つまり、解散は、内閣不信任の場合のみ、天皇が「内閣の助言により、国民のために」「解散する」ことであり、任意の解散は、明確な「憲法違反」である。まあ、このような言葉遊びみたいなことは、憲法第9条と、自衛隊の関係と、どっこいどっこい、というのが真相である。宰相は、自衛隊が、憲法第9条に違反するような解釈があるから、「憲法改正」するというのが、大義名分だと思うのだが、内閣総理大臣の、任意の解散も「憲法改正」してもらわなければ、辻褄が合わない。憲法には、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(第41条)と明確に定められている。恐れ多くも、「主権の存する日本国民」(第1条)が、4年間の任期を信頼して「選挙」した、最高機関の衆議院議員の任期を、何の権限も持たない、内閣総理大臣が解任(解散)するなど、「暴挙」以外の、何ものでもない。もし、拡大解釈として、可能性が1%あるとすれば、解散の案件を「内閣を代表して議案を国会に提出」(第72条)して、国会にお伺いを立てるのが、憲法上に認められた「唯一無二」の方法であると信じる。
「解散請求」が案件であるとすれば、国会に提出する全ての案件と同様に、趣旨説明をして、最低2日ぐらいは討議して、議決するべきだろう。自分が、「憲法改正」をしてほしいのは、この可決の数字として、イギリス同様2/3の賛成が必要とするように改正すべきであろう。喫緊の「憲法改正」は、憲法第9条に非ずして、憲法のこの部分(解散)だと思う。ついでなので、もう一点ある。憲法53条の問題である。憲法53条とは「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その招集(臨時国会)を決定しなければならない」のだが、残念なことに、憲法には、その期限が書いてない。このことを良いことに、今の宰相は、これを無視し、「解散」の暴挙を行った。かつての自民党の「憲法改正案」には、憲法53条の期限を「20日以内」という案があったらしいので、これには、与野党ともに賛成だろうから、ぜひやってもらいたい。選挙というものは、議会制民主主義の、「胆」に当たるところだから、平等でなくてはならない。今の、間違った「憲法解釈」では、明らかに、政権が有利になるアンフェアなシステムである。民意は、3年に1度、確実に聞くことができる(参議院)ので、4年任期の衆議院議員は、原則4年に一度やれば、何の問題もない。そもそも、憲法改正は、「改正」であって、「改悪」ではない。憲法改正は、当たり前ではあるが、今の憲法を理解し、愛情はなくとも、最低、ニュートラルな立場の人が、言うべきであろう。そもそも、本音は、「改正」に非ずして、「憲法停止」か「新憲法発布」のはずで、そうであれば、そのような言葉で発信するのが、正直なもの申しだと思う。テレビドラマで、とある警視か警部かが、「嘘は、弱いから言うのである」だから、責められない場合もあるのだが、「権力を持っている人の、嘘は絶対に許されない」と話していた。しかるに、現実の日本は、一番に権力を集中しているひとが、客観的に、限りなく嘘に近いようなことを話し、不都合な資料は、知らぬ存ぜぬ、と言っているのが本当に悲しい。
 「桜を見る会」で、名簿廃棄の正当性を、宰相が、「個人のプライバシー保護」を理論的な根拠に挙げていた。「個人のプライバシー保護」は、確かに、一つの「人権」ではあるのだが、それと対比する形で公共の福祉のために「国民の知る権利」というものがある。こんなことは、「人権」のイロハのはずなのだが、自分の知っている限り、この言葉で、宰相の「人権」に対する「人権」を解説したメディアを知らない。そうでなければ、言ったもの勝ちで、そのまま、正しいように、錯覚されても困る。たまたま、Y新聞が、このタイミングで、SNSで逮捕歴を削除すると、「知る権利」に抵触する可能性がある、との解説を載せていたが、本来は、宰相の「物言い」にたいして、この解説をしてもらいたいものだった。

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