こんな時に旅行かよ メキシコシティ メキシコツアものがたり②

 一日目その二(2月20日) 
 空港の職員は、さすがにマスクをしているが、街中に出ると、ほぼマスクをしているのは、日本人旅行者だけなので、マスク嫌いの自分としては、ほっとする。紹介を忘れたが、TDは妙齢のSさん、メキシコシティのガイドは、ベテランの日本人ガイドT氏だった。東京は冬なので、長袖にカーディガンといういでたちだったが、T氏は、半袖だった。
 飛行機が、着陸寸前に、ベニート・フアレス空港と紹介していたのが、個人的には、嬉しかった。事前の勉強を否定する人もいるが、このようなこと一つで、嬉しくなるのだから、やはり、勉強は、三文の得、だと思った。この日の見学(午後の半日見学)を終えて、街中(セントロ)からホテルへ向かうメインの道は、レフォルマ通りというのも、すぐにピンと来た、メキシコでは、レフォルマ戦争という名前の戦争があり、改革派が、歴史の上で勝利したからである。T氏は、英語のリフォームと同じだ、といっていたが、まさしく「改革」通りである。この通りには、最後のアステカ国王(クアウテモック)の像があり、やはり、T氏の説明では、最後まで黄金の在処を、コルテスに漏らさないで、英雄的な死を遂げたので、人気がある、との説明だった。なるほど、堂々として、高くそびえていた。確か、ペルーにも、地元の英雄が銅像になっていたのを思い出した。さて、いきなり、紀行文の順序がハナから尻尾へと移ってしまったが、最初の見学は、ソカロ広場で下車して、歩いて5分ぐらいの、サントドミンゴ広場だった。DSC00265聖ドミンゴ広場.JPG両方の広場共に、「世界遺産」なので、世界遺産ハンターならば、世界遺産を二つゲットしたぞ、と単純に喜ぶのだろうが、自分の感覚では、20世紀の世界遺産と、21世紀の世界遺産とでは、はっきり言って、「格」が違うと思うのである。20世紀の世界遺産こそ、本物の「世界遺産」であり、21世紀の世界遺産は、味で言えば、はっきり言って、薄いと思う。サントドミンゴ広場は、「るるぶメキシコ」には、紹介もされていない、レアものだった。T氏の話しでは、メキシコシティから、現在はアメリカ領になっている、サンホセまで、銀を運んだ通商路が世界遺産になり、そのスタート地点が世界遺産の「広場」という説明だった。るるぶに「ティエダラデントロの王の道」という世界遺産があるので、どうやら、その一部らしい。サントドミンゴ広場へ行くと、広場の奥には、教会然とした建物があり、それは何と、宗教裁判所という説明だった。DSC00268宗教裁判所.JPGものの本で、「宗教裁判」(有名なものでは、ガリレオ・ガリレイの例)は、知っていたが、目に見える建物としての、宗教裁判所の存在には、正直、ぞっとした。また、広場の正面には、歴史的な建物があり、教育省の建物、という説明だった。後で、ソカロ広場に行ったら、ほぼ同じような国立宮殿があったので、恐らくは「教育宮殿」とでもいうのだろうと思った。ここで、T氏が、キリスト教のレクチャーをしてくれていた。幼稚園クラスの、イエス・キリストのイエスは名前で、キリストは、ギリシャ語で、「救世主」の意味である、から始まった。なぜギリシャ語なのか、というのは、パウロが、ギリシャ語で、キリスト教を布教したからだ、とのことで、自分が、キリスト教(ローマカトリック)は、実は、「パウロ教」なのだ、という説にも符合していて、面白かった。また、歩いて、ソカロ広場まで戻ると、カテドラルの裏を通った。ここには、劫火で焼かれる人の絵DSC00269業火.JPGが描いてあって、これも、キリスト教の宣教の一部らしかった。ここには、キリスト教関係のパネルがあり、キリスト教各派の開祖の絵や、マグダラのマリアの絵が並べられていて、今でも、宣教が、続いているらしかった。るるぶによれば、ソカロ広場は、赤の広場(ロシア)、天安門広場(中国)に次いで、世界3位の広場らしいが、広場は、行事で閉鎖されるので、中は歩けなかった。ただ、中央のメキシコ国旗は、実に立派なもので、後ほど、ランチをいただいたレストランからの眺めは、素晴らしかった。
ツアーの契約では、ソカロ広場、カテドラル、国立宮殿が、下車観光(○)となっているのだが、T氏は、一番重要だとおもわれる、テンプロ・マヨールを見学させて、説明もしてくれたので、とても良かった。メキシコ人の、アイデンティティは、分からないが、部外者の自分からすれば、メキシコ三文明の基礎が、テンプロ・マヨールなのだから、これが一番重要なのは、自分にも分かるし、T氏の蛮勇には、感謝したい。T氏によれば、コルテス軍が、ここを占拠してから2年後に破壊されたとのこと。自分の創作で「メキシコ三文明」と表現したのだが、たまたま、るるぶを見ていたら、メキシコシティに「三文化広場」があることを知った。考え方としては、こちらの方が、先輩であり、内容もほぼ同じだが、この地で、二つの「悲劇」があったらしいので、簡単に紹介したい。ここに、記念碑がある。「1521年8月13日 クアウテモクによって英雄的に守られてきた トラテロルコはエルナン・コルテスの手に落ちた それは勝利でもなければ、敗北でもなく メスティーソ国民の痛ましい誕生であった」これこそ、メキシコのアイデンティティであり、感動的な言葉である。もう一つが、「トラテロルコ事件」である。一言で言えば、メキシコの「天安門事件」なのだが、メキシコの学生が、政府軍によって2~3百人虐殺されたという痛ましい事件である。すっかり横道にそれてしまったが、テンプロ・マヨールDSC00273テンプロ・マヨール〇.JPGは、るるぶによれば、2008年に7層目が発見されたそうで、古くて、かつ新しい見学地でもあるようだ。ここでの、一番の感激は、遺跡そのものよりも、背後のビル壁面に書かれた、スペイン語の文章だった。当時、ここを訪れた、フランシスコ派の僧侶が、バチカンに送った、手紙の一節らしく、ある意味、最も、在りし日のアステカ帝国の雄姿を伝えてくれる、「生き証人」だったことになる。我々が「公式に」見学したのは、カテドラルの見学だけだった。DSC00286.JPGこれも、るるぶの情報だが、この教会は、破壊されたアステカの宮殿の石材を使って、建築された、バロック様式の建物で、新大陸では、最大の規模だそうである。内部は、本当に大きな建物で、中には、黒いキリストや、各宗派の開祖の絵があった。DSC00290〇.JPG黒いキリストは、罪を償うために、黒くなった、とのこと。DSC00279ジャカランダ〇.JPG
三文明 ジャカランダ咲く メキシコ市』(国より先に シウダデ・メヒコ)
シスターが 信号無視する 春の街』(標高高く 日差しは強し)
自分なりの、机上のメキシコは、メスティーソの国であり、机上のメキシコシティは、常春の街、というものだった。現実のメキシコは、それほどは単純ではなさそうだった。自分としては、やはり三文明にこだわってみたい。ソカロ広場DSC00296ソカロ広場〇.JPGは、「16世紀、スペイン軍によって壊されたアステカ時代の神殿跡地に作られた広場」とある。広場の一面がカテドラル、もう一面が、国立宮殿、DSC00284国立宮殿.JPGという構造は、ヨーロッパのそれと同じだが、宮殿内部には、メキシコ革命後に、メキシコのアイデンティティとして描かれた「メキシコの歴史」の壁画がある。コルテス前、スペイン統治、メキシコ独立と革命、と言うのが自分の言うところの、三文明である。それにしても、見学初日の、半日もない時間だったので、時差が-15時間、ということもあり、どっぷりと、疲れてしまった。ホテルに入り、テレビチャンネルを回していたら、NHKが、画像だけ映っていて、新型コロナウイルスの感染者が、クルーズ船を除いて、97人に、急増しているとの報で、気分も何となく、すぐれなかった。

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