こんな時に旅行かよ チチェン・イツァ遺跡 メキシコツアものがたり⑦

チチェン・イツァ遺跡は、ウシュマル遺跡同様、観光化が進んでいて、それなりの立派なエントランスがあり、土産物店があり、ピンバッジなど、何点がゲットすることが出来た。日がとっぷり暮れてから、レーザー光線を使った、ナイトショーが始まった。DSC00512〇.JPGいわゆる、プロジェクションマッピングである。いろんなところで、このプロジェクションマッピングをやっているらしいが、個人的に言わせてもらえば、過剰なライトアップ同様、余り好きではないのだが、それは置いておいて、まあまあ良かった。本当は、彼岸の日に現れる、ククルカンの出現の疑似体験が見られれば良かったのだが、それよりも、発見された状況の様子や、完成された時の想像の様子のプロジェクションマッピングが素晴らしく、感動した。その後、ホテルに入ったのだが、ホテルの正面に、天文台(カラコル)がきれいに見えていて、星空とのマッチングは、幻想的で良かった。DSC00528〇.JPG
 四日目(2月23日) 部屋からは、ホテルの前庭が見えていたので、今回、唯一の朝散歩をした。DSC00535朝の天文台.JPG昨日も見た天文台のビューティフルスポットなので、御機嫌なひと時を、味合うことができた。このホテルは、発掘調査の基地になった部分を改築してホテルにしたものなので、遺跡の御用達のような位置にあり、ホテルの裏庭がそのまま、遺跡の入り口(裏門)だった。DSC00541ホテルからの天文台.JPG左手に見えてきたのは、昨夜のナイトショーで、プロジェクションマッピングをやっていた、カスティージョ(ククルカンの神殿)だった。プロジェクションマッピングは、メインのピラミッドの正面を使用したものだが、正面をきれいに復元するために、反対側の石も使用したために、後ろから見たカスティージョは、まるで別人のように見えていた。DSC00546ピラミッド裏.JPGここの名物は、もちろん「本尊」のククルカンなのだが、ここの階段の数が、91段で、これを東西南北の数を4倍して、頂上の1段をプラスすると、農耕暦(我々の太陽暦と同じ)の365日と同じ数になることは、有名である。DSC00563ドラゴン.JPGこのピラミッドには、52の窪みがあって、この数は、日本(東洋)の還暦の60の数字に相当するような、マヤ暦の数字だが、ややこしいので、割愛する。見学の最初は、千柱の回廊というものだった。DSC00549石柱群.JPG柱そのものは、マヤの最盛期(古典期)には、あまり使われなかったシステムだが、列柱が立ち並ぶ姿は、ギリシャ風に見えなくもなかった。恐らくは、梁は木造で、屋根は現在でもマヤ人の家屋で使われている棕櫚の葉葺きだったのだろうと、想像する。ところで、チチェン・イツァと言えば、チャック・モールというぐらいに、有名なのに、ガイドのS氏は、戦士の神殿の説明はしてくれたのだが、チャック・モールのことをすっかり忘れていたらしく、はるか遠く、骸骨の棚あたりまできて、「言い忘れたのですが…、はるか、遠くに見えるのがチャック・モールです」と言い訳をしていた。DSC00607アップ〇.JPGいつも来ているガイドならば、それでも済むのだろうが、一生に一度しか来ない観光客にとっては、残酷な話だと思った。ところで、チチェン・イツァの名前は、イツァーの泉の畔で、イツァーは固有名詞(種族の名前らしい)であるとともに、普通名詞では、魔法使いの意味もある、とのことである。ユカタン半島全体は、石灰岩でできているのだが、低地には、セノーテと呼ばれる泉があり、チチェン・イツァの泉の由来である。ここには、二つのセノーテがあり、一つは生活用のセノーテ、もう一つは、儀式用のセノーテなのだが、我々は歩いて、儀式用のセノーテを見学した。道中は、「マヤ式舗装道路」なのだそうで、歩いている間びっしりと売り子の列が並んでいた。DSC00606マヤの道.JPG世界遺産とは、ミスマッチなのだが、とりあえず、今のところは、「権利」とされているようだ。最新の調査では、カスティージョの真下にも、小さなセノーテが存在することが分かったようで、チチェン・イツァは、泉の聖地ということのようだ。DSC00597〇泉セノーテ.JPG儀式用のセノーテには、ジャンプ台のような遺跡もあり、飛び込んだのか、突き落とされたのかは分からないが、泉の底からは、人骨が出てきたそうなので、犠牲者がいたのは、間違いは、なさそうである。もともとの、マヤ文明には、メキシコ中央方面ほどの、血の犠牲は感じられないのだが、果たして、マヤのオリジナルなのか、それともトルテカの影響なのか、興味深いところではある。再び、カスティージョの近くまで来ると、ワシの基壇と呼ばれる、小さな基壇があった。ワシとジャガーとが、向かい合って怪しげなもの(心臓とか、頭とか言われている)をつかんでいるレリーフが、印象的だった。
ワシの基壇の隣が、骸骨の棚といわれる、ツオンパントリである。DSC00575〇骸骨のテラス.JPG壁に、びっしりと骸骨のレリーフがずらりと並べられていて、こちらは間違いなく、100%トルテカの影響である。メキシコの土産物店には、様々な骸骨のグッズがあるので、現代のメキシコ人には、多くトルテカの影響が残っているのだろうと、推測する。そして、今度は、ジャガーの神殿を見学した。可愛い、ジャガーの玉座のある神殿である。現在、チチェン・イツァのほとんどの建物の内部には入れないが、この神殿の1階は、何とかはいることができる。わずかに、色を帯びたレリーフが、壁いっぱいに描かれていたのだが、その色が、わずかに神秘的だった。DSC00581ジャガー神殿.JPGこの神殿の裏が、球戯場である。ウシュマルの球技場と比べると、格段にスケールが大きく、マヤでも最大の規模という。一番に驚いたのは、ゴールの輪っかの異常な高さだった。DSC00586〇球戯場.JPGマヤ建築には、音響に考慮したものが多いが、この球戯場の壁は、明らかに内側に傾いていて、高速道路の、防音壁の様でもあった。ここの、もう一つの名物は、勝負に負けた(逆の説もある)チームのキャプテンの首を切っているレリーフでは、切られた首から散る血が、蛇の姿に描かれていて、不気味だった。DSC00592〇首切り.JPG「マヤ人の過去と現在」という本では、10世紀の終わりに、トルテカでの派閥争いで敗れたケツァルコアトル(マヤ語でククルカン)が、チチェン・イツァを占領した、とあるので、これらの遺跡は、その後に作られたということになる。S氏からは、詳しい説明はなかったが、それ以前のチチェン・イツァは、「旧チチェン・イツァ」というようで、天文台に向かう途中の「高僧の墓」という名の、ピラミッドは、その時代の遺跡の様である。DSC00608神殿.JPGそれに対して、カスティージョを中心とする遺跡を「新チチェン・イツァ」として、区別をしている。「高僧の墓」の先にあるのが、その形から、カラコル(かたつむり)とも呼ばれる、天文台である。個人的には、「世界遺産」よりも歴史の古い「未来への遺産」(NHK)に登場した遺跡なので、とても懐かしい造形である。DSC00609〇天文台.JPGせっかくなので、その部分を紹介してみる。「夜明け、チチェン・イツァの天文台。頂上に小部屋があり、そこが、天文観測室である。三六〇度、周囲は何一つない大樹海である。この広大な大樹海とはるかな地平線をみると、無限というものについて執拗に考え続け、次第にその宇宙観を錯綜させていったマヤの人々の気持ちにも、にわかに身近になってくるようだ」ナレーションが実に懐かしい。ついでなので、説明も、ナレーションに任せてみたい。「マヤ民族は、紀元六、七世紀のころ、すでにグレゴリウス暦よりも正確な太陽の周期の算出に成功し…我々の暦が四年に一日狂うのに、六〇〇〇年に一日しか狂わない金星による暦をつくっていた。春分、夏至、秋分の日没の方位が観察できる三つの窓 マヤの古い絵文書にみる天体観測者の姿目の見えに、Xのかたちの観測器を置き、肉眼で見ている 世代から世代へと引き継がれた。恐ろしく長期間の肉眼の観測によって、マヤは宇宙の構成に迫ろうとしていたのである」近くには、造形のきれいな尼僧院もあるが、S氏は、ここからはすたこら、ホテルに戻った。
チチェン・イツァ 聖なる泉と カタツムリ』(天文台で 六千年暦)

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