平泉(中尊寺、毛越寺、高館義経堂) みちのく旅ボラ祈念紀行⑩
4月20日 一番予定が無い日だった。一関から平泉までは7㎞ぐらいなので、平泉へ行くことにした。正直に言うと、日本の世界遺産を、積極的に旅しよう、というモチベーションは余りない。しかし、義経と芭蕉のダブルでゆかりのある、高館義経堂へ行くことにした。途中、柳之御所史跡があったので、先に寄ってみた。世界遺産になれなかった遺跡だが、目の前に、国道4号線のバイパスがあり、風景を邪魔していた。世界遺産には、やはり失格なのだろうと思った。資料館は無料で、重要文化財の出土品が多く、展示されていた。個人的には、囲碁の白石と黒石とが面白かった。将棋の駒もあった。ここから、高館義経堂は近かった。階段を上がると、拝観の受付があり、さらに階段を上ると、絶景が待っていた。中景には、北上川、遠景には束稲山が聳え、左手には、衣川古戦場が、霞んでいた。小諸城跡からの千曲川も良いが、ここからの北上川も、なかなか良かった。義経がここで死んだのかどうかは、微妙だが、最近読んだ「消えた義経」によれば、ここで死んだのは、身代わりの杉の目太郎行信だった、という説だった。確かに、史実でも、疑問な点が多いのは、事実だ。義経の首が、鎌倉まで、40日もかかっては、確かめようもない。
中尊寺が世界遺産になった時、密かに喜んだことが、一つだけあった。それは、秘仏の一字金輪坐像が、おそらく、世界遺産を記念して、公開されるだろう、という期待だった。はたして、今年の7月から11月にかけて、御開帳になることが分かった。さすれば、この時期に、もう一度、平泉を訪問する必要があるのだが、問題は、4月20日の時点で、中尊寺へ行くかどうかだった。結論は、行くことにした。何となく、人が少なそうなので、ゆっくり拝観できるような気がしたからだった。下のパーキングへ車を停めて、記憶のある月見坂を登った。実は、3度目なのだが、金色堂が、カプセルの中にあるようなのが、いまいち気に入らなかったような、気がする。途中に、弁慶堂があり、拝観したのだが、主人の義経堂よりも、家来の弁慶堂の方が、立派なのが、なぜだか、分からなかった。久々の金色堂は、昔よりも色が落ちているようにも思えた。昔は、修復の直後に訪れたのかもしれない。よく言えば、落ち着いてきた感じだった。屋根を見たら、屋根だけは古色蒼然としていた。双眼鏡を持ってきたのは、正解だった。仏像や、螺鈿は、肉眼でも何とか見えるのだが、柱の菩薩像だけは、肉眼ではどうしても見えなかったからだ。もし、ここがマルコポーロの耳に入ったのが事実なら、金色堂は世界史に影響を与えた建築物なので、世界遺産になるのは、当然かもしれない。鎌倉時代につくられた、旧覆い堂も見学した。ケースも重文なので、たいしたものだと思った。さらに進むと、能舞台があった。屋根は茅葺で、斜めのからの眺めがベストのポジションだった。とても素敵な雰囲気で、ある意味、金色堂よりも感動した景色だった。ここの裏には、カタクリの花が満開で、この時期に、中尊寺へ来て、良かったと思った。最後に、讃衡蔵に入った。現在、讃衡蔵では、国宝の紺地一切経の、特別公開をやっているのだが、さりげなくやっているので、貴重な公開を、気が付かずに通り過ぎる人もいるようだった。この紺地一切経の、画の部分を公開してくれているのだが、実に面白かった。霊鷲山の形や観音様が天から舞っているような画など、見ていて、飽きがこなかった。最後に、弁慶の墓を見学した。超特大の弁慶の墓があるが、こちらはダミーで、本物は、その先に、地味に鎮座していた。ここのレストハウスで、宮城県のスタンプラリーをやっているので、探したら、フードコートの二階にあった。スタンプを捺してから、昼食にした。平泉は、餅が名物らしいので、弁慶の餅セットを注文した。ここから、毛越寺へ行った。花がきれいなお寺だが、今年は春が遅いのか、まだまだ花も、新緑もシーズン前なのが、残念だった。遺跡は、昔よりも整備された感じで、やや昔の風情が薄れていたが、鑓水の復元は、見事に昔の雰囲気を醸し出していた。毛越寺には、芭蕉の句碑があるはずだ、と思って探したら、入ってすぐの場所にあった。句碑も、本物とダミーとがあり、ダミーの句碑でも江戸時代というから、本格的なものだ。中国でもどこでも、このような遺跡は、博物館に保存しているが、日本の場合、雨ざらしで、朽ちていくだけで、文字も読めなくなるので、本物は屋内保存して、現場には、レプリカを置くようにしてほしい。日本の、文化を保存する文化、というものが欠けているのが残念だ。最後に、ここでも宝物館を見学した。特に、訶梨帝母の姿が、マリア様のようで、とても良かった。この日の宿は郡山である。平泉からは、200㎞以上もある。
2:30に一関ICに入り、郡山を目指した。途中、眠くなったので、長者原SAで40分ぐらい休憩した。天気は下り坂で、霧雨に近い雨がぱらつく中を、エコモードで走行した。名前が良いので、吾妻PAで休憩したら、二本松から郡山区間が、工事渋滞で40分もかかる、というので、急遽二本松ICで降りることにした。この辺りは、ほとんど国道4号線と東北道とは並行して走っているので、選択としては間違っていないと思った。しかし、郡山の近くでは、かなりの渋滞だったので、郡山のホテルに着いたのは、19時になっていた。夜、駅の近くで買い物をした。遠くの場所で生産した表示が目立ち、福島県産は、キュウリなど、ほぼ半額だったのは、とても胸が痛む思いがした。これは、福島県の人が、どこかで話していたことである。その人の親は、老人ホームにいるのだが、食材は、みんな県外のものを使っているとのことだった。ラジウム泉は健康に良いのだから、もう少し福島県産のものを使っても良いのではないか、とのことを、冗談めかして、話していた。しっかりと、放射能は調べているのだから、子供の食材は別にしても、年寄りや大人は、もう少し、冷静に、自分たちの県で生産しているものを食べないと、自分たちで、自分たちの首を絞めていることになりはしないかと思った。ところで、郡山に宿を取った理由だが、三春の滝桜見学である。若い女性フロントに、様子を聞いたら、蕾です、と希望も無いようなことを言われてしまった。部屋のネットで、調べてみたら、確かにまだ蕾で、明日の21日が開花予想になっていた。全く、春の寒さを恨むようである。
中尊寺が世界遺産になった時、密かに喜んだことが、一つだけあった。それは、秘仏の一字金輪坐像が、おそらく、世界遺産を記念して、公開されるだろう、という期待だった。はたして、今年の7月から11月にかけて、御開帳になることが分かった。さすれば、この時期に、もう一度、平泉を訪問する必要があるのだが、問題は、4月20日の時点で、中尊寺へ行くかどうかだった。結論は、行くことにした。何となく、人が少なそうなので、ゆっくり拝観できるような気がしたからだった。下のパーキングへ車を停めて、記憶のある月見坂を登った。実は、3度目なのだが、金色堂が、カプセルの中にあるようなのが、いまいち気に入らなかったような、気がする。途中に、弁慶堂があり、拝観したのだが、主人の義経堂よりも、家来の弁慶堂の方が、立派なのが、なぜだか、分からなかった。久々の金色堂は、昔よりも色が落ちているようにも思えた。昔は、修復の直後に訪れたのかもしれない。よく言えば、落ち着いてきた感じだった。屋根を見たら、屋根だけは古色蒼然としていた。双眼鏡を持ってきたのは、正解だった。仏像や、螺鈿は、肉眼でも何とか見えるのだが、柱の菩薩像だけは、肉眼ではどうしても見えなかったからだ。もし、ここがマルコポーロの耳に入ったのが事実なら、金色堂は世界史に影響を与えた建築物なので、世界遺産になるのは、当然かもしれない。鎌倉時代につくられた、旧覆い堂も見学した。ケースも重文なので、たいしたものだと思った。さらに進むと、能舞台があった。屋根は茅葺で、斜めのからの眺めがベストのポジションだった。とても素敵な雰囲気で、ある意味、金色堂よりも感動した景色だった。ここの裏には、カタクリの花が満開で、この時期に、中尊寺へ来て、良かったと思った。最後に、讃衡蔵に入った。現在、讃衡蔵では、国宝の紺地一切経の、特別公開をやっているのだが、さりげなくやっているので、貴重な公開を、気が付かずに通り過ぎる人もいるようだった。この紺地一切経の、画の部分を公開してくれているのだが、実に面白かった。霊鷲山の形や観音様が天から舞っているような画など、見ていて、飽きがこなかった。最後に、弁慶の墓を見学した。超特大の弁慶の墓があるが、こちらはダミーで、本物は、その先に、地味に鎮座していた。ここのレストハウスで、宮城県のスタンプラリーをやっているので、探したら、フードコートの二階にあった。スタンプを捺してから、昼食にした。平泉は、餅が名物らしいので、弁慶の餅セットを注文した。ここから、毛越寺へ行った。花がきれいなお寺だが、今年は春が遅いのか、まだまだ花も、新緑もシーズン前なのが、残念だった。遺跡は、昔よりも整備された感じで、やや昔の風情が薄れていたが、鑓水の復元は、見事に昔の雰囲気を醸し出していた。毛越寺には、芭蕉の句碑があるはずだ、と思って探したら、入ってすぐの場所にあった。句碑も、本物とダミーとがあり、ダミーの句碑でも江戸時代というから、本格的なものだ。中国でもどこでも、このような遺跡は、博物館に保存しているが、日本の場合、雨ざらしで、朽ちていくだけで、文字も読めなくなるので、本物は屋内保存して、現場には、レプリカを置くようにしてほしい。日本の、文化を保存する文化、というものが欠けているのが残念だ。最後に、ここでも宝物館を見学した。特に、訶梨帝母の姿が、マリア様のようで、とても良かった。この日の宿は郡山である。平泉からは、200㎞以上もある。
2:30に一関ICに入り、郡山を目指した。途中、眠くなったので、長者原SAで40分ぐらい休憩した。天気は下り坂で、霧雨に近い雨がぱらつく中を、エコモードで走行した。名前が良いので、吾妻PAで休憩したら、二本松から郡山区間が、工事渋滞で40分もかかる、というので、急遽二本松ICで降りることにした。この辺りは、ほとんど国道4号線と東北道とは並行して走っているので、選択としては間違っていないと思った。しかし、郡山の近くでは、かなりの渋滞だったので、郡山のホテルに着いたのは、19時になっていた。夜、駅の近くで買い物をした。遠くの場所で生産した表示が目立ち、福島県産は、キュウリなど、ほぼ半額だったのは、とても胸が痛む思いがした。これは、福島県の人が、どこかで話していたことである。その人の親は、老人ホームにいるのだが、食材は、みんな県外のものを使っているとのことだった。ラジウム泉は健康に良いのだから、もう少し福島県産のものを使っても良いのではないか、とのことを、冗談めかして、話していた。しっかりと、放射能は調べているのだから、子供の食材は別にしても、年寄りや大人は、もう少し、冷静に、自分たちの県で生産しているものを食べないと、自分たちで、自分たちの首を絞めていることになりはしないかと思った。ところで、郡山に宿を取った理由だが、三春の滝桜見学である。若い女性フロントに、様子を聞いたら、蕾です、と希望も無いようなことを言われてしまった。部屋のネットで、調べてみたら、確かにまだ蕾で、明日の21日が開花予想になっていた。全く、春の寒さを恨むようである。
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