被曝校舎 城山小学校

 長崎県五島へ帰省しました第2弾。今年の「長崎ミニさるく」は、浦上界隈の城山小学校へ行ってきた。長崎県人にとっては、被曝した国民学校として、有名な学校ではあるが、詳細は、まったく知らなかった。電車で、松山町で下りる時に、城山小学校は、ここで下りるんですか、と聞いたら、そうです、少し歩きます、というアドバイスをいただいた。長崎では、高校総体の最中で、運動施設の多いこの地区では、多くの高校生とも遭遇した。松山町は、原爆が上空500mで爆発したその町である。競技場の間を歩くと、簗橋という橋があり、行く手の丘に、何か心が締め付けられそうな建物が見えてきた。直感的に、城山小学校だと分かった。ただの建物といえば、それまでだが、被曝した建物なので、何か不思議なオーラが発散されているような感じがした。
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城山小学校へ行くには、階段を登るのだが、この階段の手前の建物に、長崎水害の水位を示す標識があり、びっくりした。東日本大震災での、津波の高さを示す標識は、本当に驚くが、こういう場所にも、いま災害を忘れさせないための、標識があるのに、別の感慨を覚えた。
 小学校には、あの永井隆博士を記念した永井坂という坂もあり、暑い日なのに、何かひんやりした感触のある、不思議な坂だった。
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さて、被曝校舎は、現在「城山小学校平和祈念館」として、保護されていた(恥ずかしながら、このことは、まったく知らなかった)。建物の内部は、猛火に曝されたそうで、真っ黒に焦げた木枠の跡は、まだ生々しかった。内部は、撮影禁止の資料館で、平和への願いも資料も、多く残されていた。
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世界の人が見るべきものに、原爆資料館というものがあるが、ここの「城山小学校平和祈念館」は、知覧の施設と共に、日本人の見るべき施設だと思った。原爆ドームは、世界遺産として、余りにも有名だが、この城山国民学校の被曝校舎も、世界遺産に匹敵する施設だと思うのだが、余りにも知られていないのが、残念である。ちなみに、この被曝校舎は、被曝後も校舎として使われていた、貴重な建物であり、何よりも児童の発案で保存された、ということが、未来の仲間にとっては、とても良かった、と思う。結局のところ、百万遍の話よりも、一つの現物の方が、説得力があるように感じる。同様なことで、東日本対震災の遺跡が、子どもの発案でなされているのに、大人の「一時的な感傷」で反対されているのは、未来の仲間に対して、無責任だと思う。校舎の周りには、被曝して、奇跡的に復活した、いくつかの樹木も保存されていた。
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