マララさんと安藤昌益

 東北の旅行中に、マララさんのことが、ニュースをにぎわした。しかし、決して楽しい話題ではなく、むしろ悲壮なニュースだった。イスラム過激派が、イスラム教の教えをないがしろにするマララさんは、許せないので、命を狙う、というものだった。イスラム教は、7世紀に、ムハンマドが神から啓示を受けて、始まった、とされている。本来は、クルアーン(コーラン)のみを、イスラームの教えとすべきなのだろうが、実際には、いろいろ、あいまいで不確定な要素も多そうである。したがって、いろいろな解釈が成り立ち、過激派のような思想も生まれるのだろうが、一方で、人類には、人類普遍の考えの進化みたいなものがあるように感じる。男女平等とか、個人の尊厳みたいなものである。この観点から、見る限り、イスラム教は、いかにも時代遅れである。クルアーン(コーラン)は、7世紀当時の、アラブ地方の状況からは、おそらく革新的で、すぐれた思想だったのだろうが、21世紀の今となってみれば、いかにも古めかしい。
 一方で、18世紀の安藤昌益の考えも、それなりに古いものではあるが、時代を考えれば、恐ろしいように、現代的な側面もある。安藤昌益資料館を訪れた時、「男女」と書いて、何とし読みますか、と質問されて、「ひと」と答えたのだが、これなどは、いかにも、男女平等を唱えた、昌益らしい斬新なことに思える。何でも、彼の著書では、女性や子ども(小人)の項目を先にするほどの、徹底ぶりなのは、現代にも通じるのではないだろうか。無宗教であるはずの、中国で、秘かに宗教が復活しつつあるらしいが、ある意味、現代の中国において、もっとも模範にすべき、考えは、昌益であるような気がする。
 

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