円通寺 晩秋古都の旅⑧

12月6日 (土) 五日目 いつもなら、一週間近く京都観光をするのだが、今回は土曜日の宿が取れなかったので、早くも帰途につく日になってしまった。早朝に窓を見たら、満月に近い月が、低い山並みの末に輝いているのが見えた。この日は土曜日で、師走にもかかわらず、土曜日の京都は人気が高く、ホテルは満室だったので、帰ることになった。ただし、直行で帰るのも少し寂しいので、半日観光してから帰ることにした。問題は、見学先の選定である。紅葉はすっかり終わっている様子なので、クルマで訪問しやすいお寺が良い。帰る途中の、勧修寺あたりにするか、郊外のお寺にするか、地図を眺めながら目に飛び込んできたのが、円通寺だった。ホテルから比較的近く、クルマでなくては訪問が難しいお寺だ。決め手は、知覧のお庭を訪問した時に、お庭の当主の説明で、円通寺に似ていた、という話しを思い出したからだった。この日は、7時に朝食に行って、比較的早めに出発したのだが、これは裏目だった。寒風の吹きすさぶ鞍馬街道を北上すると、本当に天狗が出てきそうな狭くて細い道を通り抜けた先に、円通寺はあった。入り口が締まっているので、案内を見たら10:00からだった。まだ、45分ぐらいあった。個人タクシーで乗り付けたドライバーが、しょうがないなー、とぼやきながら、仕方がないので、実相院を先に行く、と話していた。我々も、地図を見て、回ってみた。実は、実相院も候補のお寺の一つだったので、まあいいか、という感じだった。実相院は、床紅葉が有名で、見学そのものは、数年前、鞍馬山の帰りに寄ったことがある。着いてみたら、あれほど紅葉の時期には、人気のあるお寺が、寒々としていた。それもそのはず、境内にあるモミジは、すっかり落葉していた。
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葉っぱが残っていれば、拝観する予定だったが、落葉では、モチベーションが湧かないので、早々にもと来た道を引き返して、円通寺へ戻った。さすがに、10時になると、人が集まってきて、開門と同時に、ぞろぞろと拝観をお願いした。
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結論を先に言うと、ここのお庭は、とても素晴らしかった。比叡山の借景庭園、という事実は、頭の中では知っていたが、そんな左脳的な思いを、思い切りぶち壊すほどの、衝撃的な庭園だった。
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そもそも、ここは後水尾上皇の幡枝離宮だったらしい。後水尾上皇は、昨日も光雲寺で82歳の宸翰を見てきたばかりである。
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江戸初期の、京都の文化を語る上では、無視できない、巨星と言ってよい人物である。この後水尾上皇が、12年間も探して、ようやく定めたのが、この幡枝の地で、比叡山を見るのに、最高の場所に、離宮を置いたらしい。したがって、比叡山の眺めは、寸分の狂いもなく、計算された画布に描かれた山のように、お庭から見えていた。サントピクトワール山を描いたセザンヌの絵があるが、あれと同じことを、後水尾上皇が、庭園の眺めでやったことになる。庭園の広さは、400坪とのことだが、これが後水之尾上皇の画布ということになる。借景などという言葉は、ふさわしくない。主景というべきで。遠からず近からず、最高の場所、かつ最高の角度で、比叡山が見えていた。都の富士とも自慢したそうであるが、それもむべなるかな、という感じだった。吹きさらしの部屋だが、電気カーペットがあったので、しばらくの間、じっと比叡山を鑑賞することができた。
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庭にある杉の樹は、微妙にずれて並んでいるのだが、これは計算の中なのか、と思うが、樹の大きさは、時代によって違うので、そのあたりが、興味深いことだと思う。この地は、景色は最高だったが、水の便が悪いので、新たに作られたのが、修学院離宮との説明だった。

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