信濃デッサン館 信州旅③

 二日目の帰りは、上田に戻るか、松本に進むか、が悩みだった。気分的には、先に進もうと、前日には思っていた。上田城の、ピンバッジを、買うつもりだったのだが、買い忘れたので、結論は戻ることにした。もともと、メインの目的が、信濃デッサン館の見学なので、この判断は、良かった。朝食を、ゆったりといただいて、9:40にホテルを出た。有料の平井寺トンネルを戻ると、左手が塩田平で、10:17に前山寺・信濃デッサン館の駐車場に車を滑り込ませた。まずは、デッサン館に入った。
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この美術館は、S54年に、窪島誠一郎氏が作った美術館だそうである。前山寺は、くるみおはぎが有名で、一度訪れたことがあるのだが、調べてみたら、S53年だったので、その存在を知らなかったのは、仕方がない。収蔵品は、村山槐多、関根正二など、「夭折の画家」の素描である。
 前山寺・信濃デッサン館の駐車場は、平日にもかかわらず大賑わいだった。特に、大型バスが何台もあり、受付でも、今日は団体客が多いので、すみません、とのことだった。中に入ると、村山槐多の作品が多くあったが、代表作の「尿する禅僧」は、平塚美術館に出張中だった。関根正二の自画像があったが、なかなか良い作品だった。伊東深水と親交があったそうで、彼が死ぬまで手元に所蔵していた作品があった。当時、貧乏画学生であった深水が25円で買ったらしい。関根20歳、深水が21歳とのことだった。野田英夫の絶筆の作品もあった。さすがに、衰えた力を振り絞った作品らしく、その弱弱しさが、壮絶な感じを受けた。吉田憲の「笛吹き」という作品は、かつて仙台ホテルにあった作品で、数奇な経路をたどって、この美術館の所蔵となった作品という説明だった。モネの笛吹き少年も有名だが、こちらも、劣らない作品だと思った。他では、戸張孤雁の「裸婦像」が印象的だった。美術館の一角には、立原道造の記念室があり、ルオーのような絵があるのが、面白かった。一周すると、もう一回槐多の作品があり、その中の「裸婦像」がすごかった。理屈は分からないのだが、絵から物凄いオーラを感じ、裸婦像であるのにもかかわらず、しばらく釘付けになってしまった。出口の処には、槐多のデスマスクがあった。信濃デッサン館は、ここでも紹介したような夭折の画家と言われる人たちの素描が見られる、貴重な美術館である。
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個人的には、槐多も関根正二も、松本俊介、靉光など、絵葉書を持っていて、興味ある画家たちだったのだが、一般の人たちには、やや難しかったらしい。我々が、1時間半ぐらい鑑賞している間に、高校生の団体などが、嵐のようにやってきて、いつの間にかいなくなってしまうのが、面白かった。ところで、道路にある案内板は、先輩である信濃デッサン館ではなくて「無言館」のほうが、大きく表示されていた。ひょっとして、今はこちらの方が有名なのかもしれないが、デッサン館は、美術ファンならば、わざわざ訪ねてみる価値のある美術館だと思った。美術館は、前山寺の境内の中にある。ここには、600年と言う齢を重ねた、2本のケヤキがあり、まるで縄文杉のような存在感を見せていた。前山寺そのものへも参拝しようと思ったのだが、前山寺と言えば、くるみおはぎなので、お昼にもかかわらず、まだお腹が空いていなかったので、後にするか、ということで、槐多庵という、別の建物の方へ行った。槐多の名前があるので、槐多の作品があるのかと思ったら、そうではなくて、一般の作品を展示する建物で、この時は、全国の中学生の作品が並べられていた。びっくりしたのは、これら美術館群の館長である窪島誠一郎氏自ら、受付にいて、チケットをちぎってくれたことだった。一目で、窪島氏と分かったので、出る時に、感謝の意を述べたのだが、素敵な表情で、隣に彫刻があるので、見てください、と案内された。その後、クルマを出して、無言館へ行くことにした。

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