もう一つの黙祷

 東日本大震災の前日、頭のカットをしたのだが、そこの店で、「黙祷」という声を聞いた。正確には、その話を、同時刻で聞いた、と言うのが正しいのだが、一瞬、あれ、何だっけ、と思ってしまった。翌日の3月11日は、記憶に余りにも生々しいのだが、3月10日は、71年も経ってしまった。東京大空襲は、常々、広島・長崎の原爆投下と、同程度の悲惨さで、米軍の卑怯さも、同じぐらいだと思い続けてきた。単に、犠牲者の多さばかりでなく、そこに至った、米軍の、無垢な一般人を虐殺した事実を忘れてはならないだろう。米軍は、いかに大量に一般人を虐殺するかに、執念深く研究を重ね、ヒントは、日本の燃えやすい、木造家屋にあると見た。アリゾナかどこかの砂漠に、日本の木造家屋に似せたものを作って、一番効果的な兵器を研究したようである。その結果、今でいえば、ナパーム弾と言うのだろうが、当時は焼夷弾と言ったようだが、着弾と同時に、ガソリンをまき散らすような、虐殺兵器を開発して、木造家屋の多い、東京の下町を狙ったのだから、いくらアメリカが、戦勝国とは言え、許されざる行動だろう。戦勝国の許されざる行動に、旧ソ連の、ロシア抑留がある。一昨年に、中央アジアを旅した時に、当地で亡くなった、日本人墓地にお参りをしたが、本当に空しい死だったと、心から悼んだ。
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 そして、3月11日は、あれから5年である。この大震災で、米軍の「トモダチ作戦」で、大いにお世話になったが、考えてみれば、東京大空襲の埋め合わせのような気がしないでもない。実は、大震災では、ロシアの救助隊も活躍して、多くの日本人を助けたそうで、ほとんどの日本人は、知らないか、忘れていそうなので、ロシアにも感謝の意をしておきたい。どちらにしても、日本はあれから、災害はあったとしても、平和な日本であり続けたわけで、このことは、一番大切にしたいことだと思う。もろもろの、犠牲になった人に、黙祷である。

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