浜街道の城跡 坂元城、新地城 福と復の旅⑨

 桑折から、ピーチラインを走る予定だったのだが、よくわからないうちに、通り過ぎてしまった。
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この日3番目の目的にインプットしたのが、坂元神社だった。この神社は、宮城県の山元町にあり、ルートをナビに任せたのだが、阿武隈沿いの国道349を右折して、丸森町というチョーの付くローカルな町を通過した。途中の田舎道は、花吹雪が舞う花道だったのだが、峠を越えると、道は良くなった。しかし、ダンプが行き交う道路になり、復興工事の影響が強く、自然も破壊されているようなのが、ちょっと複雑だった。坂元神社は分かりにくい場所にあったが、地元のシニアの人が親切に教えてくれたので、助かった(11:00)。神社は、桜が満開だった。
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ここは城跡の高台なので、津波の来たような地形が広がっていた。
 陸前浜街道と称している国道6号線を右折すると、再び福島県へ戻った。ここは、相馬郡新地町というところで、少し前に、「鶴瓶の家族に乾杯」で間寛平がゲストで来たところである。新地城跡も、分かりにくい場所だったが、たまたまチューリップ祭りをやっていて、その案内で、何とかたどり着くことができた。山城の跡にチューリップを植栽した、珍しい風景で、とても良かった。
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ただ、祭りというには、余りにも人が少なくて、そういう事実の方が、胸に堪えた。例年ならば、チューリップには早い時期なのだが、今年は満開の桜とマッチングしていて、風景としては、最高の景色だった。あまり知られていないのが、残念である。城跡から、田舎道に出た場所に、カフェの看板があったので、行ってみることにした。祭りの会場には、出店のようなものは全くなく、旅ボラとしては、不本意だったので、渡りに舟だった。カフェ(花じかん)は、地元の女性たちで賑わっていたのだが、将来は、民宿を営むような部屋の構成になっていた。2階の部屋からは、穏やかな田舎の景色が見えていたが、すぐ近くまで、津波が押し寄せたそうで、目を凝らすと、高台に造成した新しい住宅地があり、悲しみのようなものを感じた。ランチは、雛にはまれなような、とてもセンスの良い料理で、美味しくいただくことができた。
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新地には、テレビでも紹介していたのだが、復興フラッグ、という復興を支えるシンボルがあったのだが、見損なったのが、残念だった。

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