ドッグリバー 英雄の碑 東地中海(レバノン・キプロス)物語④

 カディーシャ渓谷からは、昨日走った道を「逆走」するのだが、今度は、右側が地中海になり、左手に、ベイルートの高層ビル群が、霞んで見える景色は、なかなか絶景だった。
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ベイルートが近づいたあたりで、再び、左折して、山の方向に走り出した。この辺りは、ベイルートの、新興住宅街でもあるらしく、対岸には、造成された住宅団地が見えていた、やや、山深くなって、ジェイダ洞窟の駐車場に着いた。ここは、ちょっとした、テーマパークで、まずは、ゴンドラで、一登りした。あっという間に到着して、いよいよ、トンネルを潜るのだが、何やら、雰囲気が、立山アルペンルートの黒四の先の、人工トンネルに似ていた。カメラを預けて、鍾乳洞に入ると、辺りの雰囲気が一変した。鍾乳洞は、何度も観たので、それほどの期待もしなかったのだが、カメラの撮影禁止が、厳格に守られていて、色の保存が良く、とても良い、鍾乳洞だった。
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すべての造作が立派なのだが、まずは、石柱が立派だった。洞窟の高さは、最高で105mもあるそうで、石柱の中には、衝撃で、お団子みたいになっているものも、多かった。一番に優れているところは、照明がシンプル(中国のそれは、天然色で、嫌味だった)で、嫌味が無いこと、それでいて、天然のアートは、圧倒的な存在感を見せつけていた。他の鍾乳洞では、見られなかったものには、地震で、「自然アート」が崩壊したものもあり、こちらは、何やら、遺跡風の貫禄を見せていた。上まで階段を登ると、そこは、底なし沼のようで、実は、水面が鏡になっていて、無限の深さを表現していた。カッパドキアのような造形もあったが、書いても陳腐になるだけなので、説明は、終了する。いったん、外に出ると、今度は、ミニトレインに乗り込み、下の、グロッソを見学した。こちらは、より、テーマパーク風なのだが、電動ボートで探検する仕組みで、レジャーとしても、なかなか一級品だった。広島県に、「猿飛」という絶景があり、外国人に人気があるのだがスタートは、その雰囲気に似ていた。ボートで、岩の狭い部分を抜けるのだが、この辺りは、カプリの「グロッソ・アズーリ」に似ていた。そこを潜ると、広い洞窟を、下って行った。ここの雰囲気は、今度は、秩父の川下りにも何やら、似ていた。
鍾乳洞には、色々な造形が楽しめるのだが、本当に傾いた「ピサの斜塔」が、面白かった。上の洞窟にも、共通していることだが、造形に、怪しげな名前を付けないで、一切の「感動」を、お客に任せているので、すっきり感が素晴らしいのだろうと感じた。もと来た道を戻り、ゆるゆると坂を下ると、駐車場に着いた。世の中には、撮影禁止の観光地が、時々あって、最近の経験では、岐阜の「新長谷寺」で、撮影禁止のオーラを感じたものだが、これも、案外、観光では、面白いのかもしれないと思った。もう一度、海岸線に出て、ドッグリバーの見学をした。ガイドが、ミニリオデジャネイロという、キリスト教像があるあたりに、古来「犬の川」と呼ばれた場所があり、ここに、英雄たちの記念碑が集中してあるという。この川は、エジプトの勢力と、メソポタミアもしくは、ダマスカスの勢力との境界だった歴史が古く、番犬のような「石造の犬」があり、不思議なことに「吠えた」のだそうだ。
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十字軍の時代も、境界線だったようで、ここを越えることによって、戦端が開かれたようだ。まずは、スルタンが作ったという、年代物の橋(と言っても、立派な二車線の道路)を渡り、記念碑の地点まで歩いて行った。ここには、20世紀の記念碑
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も数々あるのだが、一つだけ紹介すると、1941年の、ナチス政権下の、ペタン将軍の時代の記念碑があった。連合国側に立った、レバノン人の独立運動があったらしいが、独立宣言から、フランス軍の完全撤退(この記念碑もある)までの、レバノンの独立の年表が、やもやしているのが、何となく分かった。下の部分で、一番にインパクトがあったのが、ナポレオン3世の記念碑
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で、何とラムセス2世の記念碑の上に、上書きするという、悪辣な記念碑で、その行為が、歴史になりつつあるようだ。本当に魅力ある記念碑は、ここから階段を登るのだが、一か月ほど前に、落盤があり、現地のツアー会社が、「案内不可」にしていた。確かに、落盤事故の痕があり、途中にもいくつかの碑があるのだが、摩耗がひどくて、不明のものもあった。登るにつれて、景色が良くなり、ベイルートの若者たちの、アベックコースでもあるらしかった。
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上の方にも、ラムセス2世の碑もあってほっとした。この碑は、ヒッタイトのムワタリ王の碑とカップリングされており、
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おそらくは、この碑が、カディッシュの戦いと、その戦後の世界最初の平和条約なのだろうと、感じた。二人の碑は、丘のもう少し先にもあり、こちらの方が、居場所が良かったのか、風化の具合が、やや遅れていて、特に、ヒッタイトの楔型文字は、はっきりと確認することができた。
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結果的に、添乗員の、Hさんが、機転を利かせて、事実上は、「強引」に、連れて行ってくれたことに、本当に感謝感激だった。正直な話、記念碑は、摩耗が激しく、本物は博物館で保管して、現場には、レプリカを置くべきだと、個人的には思った。何が何だか分からなくなるのも、時間の問題のようにも感じた。それでも、歴史の重みは、たいしたもので、歴史上の登場人物が、机上ではなくて、本当に生きていたことの証拠なので、感動ものだった。ただ、落盤事故は、今後もありそうなので、「要注意」である。そういえば、先ほどの、下の洞窟探検も、明日は「中止」らしいの(川の上流で、大雨が降ったので、危険)で、我々は、運が良かった、ということになる。近くには、ローマ時代の水道橋跡や、オスマン時代の石橋
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があり、そこで、Uターンして海岸道に出て、大都会の、ベイルートの宿に入った。

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