クライペタ旧市街 バルチック琥波句旅日記⑧

フェリー乗り場に、茸採りの人がいて、しばし交流した。そういえば、リトアニアは、森林が多く、石が無いので、普通のヨーロッパと違い、木造の建物が多いので、日本に似ていると思った。さて、クライペタの街見学である。歴史は、13世紀の、ドイツ騎士団による建都に始まり、長くドイツ領だった都市で、ハンザ同盟都市メーメルの方が有名である。散策の途中に、「メーメル理髪店」という店があり、妙な感激を覚えた。DSC09413メーメル.JPG現在の通りは、リトアニア語になってはいるが、本来はドイツ語で、パン屋通り、靴屋通りなどと、呼ばれていたらしい。最初は、街の中心、劇場広場である。ドラマ劇場は、18世紀に木造で建てられた(ワグナーが初演)ものを、1940年に、ネオクラシックとルネサンス半々の様式で建てられた。建物そのものよりも、1939年に、ヒトラーが、メーメル復活(再併合)のアジ演説をしたところとして有名である。しかし、そのような歴史の機微に興味のない人ばかりらしく、皆が早々に立ち去ったので、慌てて、自分だけ一人、記念写真を撮る羽目になった。DSC09406ドラマ劇場.JPGドラマ劇場の前には、アンネという少女像があるのだが、ヒトラーが来た時に、歓迎しない意味で、わざと、お尻を向けた、との話もしていた。クライペタの街は、戦争で空き地になったところが所々にあり、無理むっちゃく再建しないで、ソ連時代を批判する微妙な彫像(醜い猫や、ロシアを向いたドラゴンなど)を置いたり、花を植えたりしているところが、歴史を忘れない、民族の抵抗魂みたいなものを感じた。DSC09412空地.JPG川には、帆船が係留されていて、夏(10月までは、サマータイム)はレストランをやっていて、何組かの結婚式をやっていた。帆船の帆は、バルト三国の国旗を表しているそうで、三国が力を併せて、独立を勝ち取った気持ちが表されていて、好感が持てた。DSC09421バルト国旗.JPG川岸に、マーメイドのモニュメントがあった。うろこが、ユーロ(€)前の旧通貨で、造られていて、何かを訴えているのだろうが、難しい問題である。DSC09424人魚アップ.JPGリトアニアは、ユーロになって、数年たつようだが、流通している通貨(庶民的言い方なので、実際にはコイン)を見る限りは、外国製のコインが多く、リトアニアの1€を発見するのに、時間がかかった。一応、各国のユーロコインは、コレクションしているので、リトアニアコインをゲットした時は、ほっとした。関係はない話なのだが、リトアニアの国技はバスケットボールなのだそうで、ヨーロッパチャンピオンになるような、強豪とのことだった。いったん、ホテルにチェックインの後、もう一度バスに乗って、旧市街のレストランへ行った。レストランの前には、日本でいえば、城址があり、堀と緑の土塁が見えていた。DSC09431メーメル城.JPG説明では、この町の歴史のスタートとなった、ドイツ騎士団メーメル城の跡とのことだった。自分的には、これを見られて、とても充実した気分になったのだが、旧市街の観光で、無視されたのが、いかにも不思議だ。前回のノルウェーベルゲンでも、古城を無視していたが、歴史の基礎というものは、大切だと思う。

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