テーマ:東日本大震災

塩谷岬、帰還困難地域 福と復の花旅⑫

 南相馬市の南には、原発のある双葉町なのだが、ここに入る地点には、多くの警戒する警官が見張っていたので、異様な感じがした。左右の道路は、帰還困難地域なので全て封鎖されていた。昔は田畑だった地形の場所は、ほとんど枯れた荒野のような雰囲気になっていた。5年間の年月を痛切に感じた。さらに、大熊町に入るとすぐに福島第一原発の標識があった。皮肉な…
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南相馬の旅 福と復の花紀行⑪

 4月14日(木) 五日目 雨の朝だった。この日は、ほとんど、観光地には行かず、原発に近いあたりを、通り抜けるだけなので、やや気の重い一日になりそうな予感がした。最初の目標は、相馬市の道の駅だったのだが、ここの少し手前に、百尺観音という磨崖仏があるので、寄ってみた。新しいものだが、雨の中なので、何かさみしげにも思えた。道の駅には、9時少…
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松川浦、相馬中村城 福と復の旅⑩

 新地から、相馬は10㎞少々ぐらいの距離らしい。カフェを出発したのは12:40だった。相馬の中村城は、全国に33ある江戸古建築物のある、貴重なお城なのだが、そんなことは無頓着なように思えた。ここも、桜祭りをやっていて、雪洞も飾ってあるのだが、ほとんど人影がなく、幟が風に虚しくパタパタとひらめいていた。ちなみに、古建築というのは、大手門な…
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震災ツアー

 東日本大震災から5年しか経っていないのに、九州熊本でまた大きな地震が起きてしまった。今回の地震は、福島を応援する旅ボラの途中で、ニュースを知った。次の旅を、5月の由布岳に定めていたので、第1報の時には、何の不安も感じなかったのだが、続く「本震」後の様子で、大分も大きな地震に見舞われたことを知った。その後、ニュースを知るたびに、心が重く…
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ワンラブ フクシマ

 3月11日は、あの震災から、5周年だった。NHKをはじめ、各局では、特集番組を放送していたが、視聴率が0%台と聞いて、心が痛んだ。辛いものは、見たくない、という気持ちは、全く分からないわけではないが、被災者の気持ちを思えば、この日ぐらいは、ほんの少しでも、被災者の方に気持ちだけでも、寄り添ったらどうだったのだろうかと思った。そんな番組…
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どけん復興

 被災地東北は、将来日本の写し鏡である。少子高齢化が進むと、どんな世の中になるのか、怖いものを見るようだが、目をそらしてはいけないのだろう。もし、間に合うのならば、日本は、このことの解消に、全力を注ぐべきなのではないだろうか。5年前に、日本が未曽有の大災害に遭った時に、日本国民は、こころを一つにして、復興増税に、賛成した。5年間、ものす…
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福島にエール こころをひとつに

 3月11日は、祈りの日だった。午後2時46分は、いつも旅先だったらしく、自宅で黙祷をしたのは、初めてだった。天皇陛下の追悼のお言葉と、A総理の式辞との、あまりにもの落差に愕然とした。政治家が、被災地に行くのは、どうしても、パフォーマンスの臭いがして、一歩ひいて見てしまうものだが、結局のところ、その評価は、その人の生き様にかかってくるの…
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もう一つの黙祷

 東日本大震災の前日、頭のカットをしたのだが、そこの店で、「黙祷」という声を聞いた。正確には、その話を、同時刻で聞いた、と言うのが正しいのだが、一瞬、あれ、何だっけ、と思ってしまった。翌日の3月11日は、記憶に余りにも生々しいのだが、3月10日は、71年も経ってしまった。東京大空襲は、常々、広島・長崎の原爆投下と、同程度の悲惨さで、米軍…
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二・一一の恫喝

 2月11日は、あの東日本大震災から、4年と11ヶ月という、月命日の日である。このような厳かな日に、とんでもない社説を見てしまって、愕然とした。大震災で、在日米軍は、「トモダチ作戦」で、大変お世話になったことは、米軍が嫌いかもしれない、沖縄の人もある程度は、認めるところだろう。編集手帳という、何事もないような、社説の内容は、恐ろしいよう…
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たら・れば マッカーサー憲法

 先日、日韓における「慰安婦問題」がとりあえずの終結を見た。歴史は繰り返すので、何とも言えないが、とりあえずは、「最悪ではない状態」になったことは、良かったと思う。ただし、この問題は、本来、もっと早く、終結していたはずだった。N政権の時に、韓国のL政権との間に、決着を見ていたからだ。ただ、あの時には、J党のA氏が、無理やりに総選挙に追い…
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花は咲く 天と地の鎮魂歌

 タイトルはもちろん、東日本大震災に関してである。「花は咲く」は東北に関係の深い4人のスケーターが、東日本大震災の復興の願いを込めて、滑ってくれた。「天と地の鎮魂歌」は、羽生結弦選手が、心を込めて、滑ってくれた。タイトルには出さなかったが、最後に、浅田真央選手が、同じく心を込めて「ジュピター」を滑ってくれた。  実は、「キッチンが行く…
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放射能とは

 出先で、青森の十二湖が、きれいで素晴らしかった、という話をしていたら、裏磐梯の五色沼のようなところですか、と聞かれた。感じとしては、裏磐梯の方が、火山の影響であり、時代も新しいので、妙な生々しさがあるような気がする。家に帰ってみたら、今度は、Y新聞夕刊に、裏磐梯の旅の記事が出ていた。その中に、3.11の後、風評でお客が減ってしまった、…
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セウォル号と大川小の相似

 ともに、「悲劇」というには「人災」の様相が濃い「事件」だった。共通しているのは、謎の空白の時間があり、この時間に、何かをしていれば、助かったのではないか、と思われるからである。なにぶんにも、引率されていた多くの教員が、亡くなっているので、死者を鞭打つのは、辛いが、それでも、多くの人命を預かっていたのだから、その時のリーダーの責任は、重…
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NZ クライストチャーチ 紙の大聖堂 『NZ南海道旅ある記』最終章

 いよいよクライストチャーチへ向かった(12:35)。はじめは、霧ケ峰を彷彿とさせるような、起伏のあるところを、徐々に下って行って、道は左折した。NZらしい風景の典型は、左右が牧場であることは、まずは、間違いがない。はじめは、起伏のある左右の牧場の風景が、NZの風景の典型かとも思ったが、東海岸の風景は、どちらかと言えば、狭いか、広いかの…
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宮城の明治村 登米、南三陸 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑪

 10月12日(七日目) いよいよ、帰途である。ただし、道中が長いので、この日は福島までの道中の予定である。7:00にホテルの2階で、食事をしたのだが、目の前の景観が、津波が渦巻いた場所であり、後ろの山が昨日聞いた避難された薬師公園だった。交差点の、壊れたままの建物を除けば、普通の景色なのだが、とても、生々しい感じがした。7:48に出発…
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悲愴 山田、大槌、釜石 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑩

 魹ヶ崎入り口の姉吉から、山田の街までは、30㎞近くあったらしかったが、まるで林道のような県道41号線は、今までに経験をしたことがないような、くねくね道の連続で、運転は楽しかったが、非常にくたびれた。やがて、左手に、養殖の筏が並ぶ、きれいな山田湾が見えていた。しかし、山田の街は、悲惨だった。走りながら、涙が、ぽろぽろと流れ…
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浄土ヶ浜 青の洞窟 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑧

 田野畑から宮古へ向かう途中に、三陸自動車道路があった。無料の高速だが、わずかな区間だが、とても快適だった。ただ、この高速は、観光地のポイントからポイントへ移動するには文明的で、便利なものだが、線もしくは、面として観光をしようと思うと、無粋なもので、最悪の場合は、景勝地をトンネルで通り抜けることも多い。もし、三陸自動車道が完成した暁には…
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南三陸の光明

 現在、「きらり東北の旅 日本縦断こころの旅」は宮城県を走破(?)中らしい。宮城県の津波被災地である、陸前高田、南三陸、石巻などの様子を見て、変わらないところと、やや変わったところとを、興味深く拝見している。陸前高田は、今年の秋にも訪れたが、まだ「道の駅 高田松原」が、休止中なのが、傷ましかった。ほとんどの道の駅が、営業を再開している中…
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悲愴 大槌町

 東日本大震災が終わって、2年と半年以上が過ぎた。大震災の当日は、日本にいなかったが、数日後にi戻ってきて、ガソリンの大騒動や、計画停電などを経験しながら、震災の報道に釘づけだった。福島の、原発事故は、時間的に考えると、今も現在進行形であり、一番深刻な問題である。しかし、我々は、ここに近づくことはできないし、今後も、近づくことは相当に無…
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絶景 山田湾

 風景には、有名な風景とそうではない風景の2種類があるらしい。今回の、三陸の旅では、有名な風景として浄土ヶ浜や北山崎を訪れた。有名ではない風景としては、重茂半島魹ヶ崎を訪れたわけだが、この重茂半島は、前にも書いたが、なかなかハードな道路だった。このくねくねした県道を走り終えて、左手に、ほっとする風景が見えてきた。後で、名前…
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絶唱 浄土ヶ浜

 30年ぶりに、浄土ヶ浜を訪れた。あの時は、4月初めの、小雨の日だった。雨にもかかわらず、浄土ヶ浜は、その素晴らしさを、惜しげもなく、我々に教えてくれた。雨でもあの絶景ならば、晴れたならば、どんなにずばらしいだろうと、その時思った。  今回の南部岩手の旅は、雨続きだった。旅に出て、5日目、ようやくにして晴れた。その日は、「あまちゃん」…
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道-そして希望の朝in八戸市美術館そして種差海岸

 三陸復興国立公園指定記念特別展として、八戸市美術館で、「道-そして希望の朝in八戸市美術館」と題した、展覧会が開かれていた。たまたま、八戸に旅することが決まって、旅立つ直前に、この展覧会の存在を知って、さっそくプランの中に取り入れた。メインは、東山魁夷の種差海岸を描いた名作「道」を中心としたもので、旅のプランにも、名作の舞台となった種…
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三陸自動車道の功罪

 火野正平氏の「きらきら東北日本縦断こころの旅」が、現在、岩手県の旅をしている。たまたま、岩手県への旅をしてきたばかりなので、いつもよりは、気にはなっている。岩手県は、一関や八幡平にも行ったが、やはり、被災地だった、三陸海岸をできるだけ、海岸線に沿って、旅をした。気になるのが、現在、建設中の、三陸自動車道路である。新聞によれば、一般の高…
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宮城県と福島県との落差

 東北への旅を計画しています第4弾。ルートは、栗駒岳と八幡平という二つの山を歩いた後、八戸から三陸の海岸線を南下する、という計画である。前回、宮城県の海岸線をほぼ、踏破して岩手県の陸前高田まで足を延ばしたので、今回ここまでたどり着けば、東日本大震災で被害にあった、二つの県の海岸線を、ほぼ踏破することになる。前回の旅は、被災からまだ1年し…
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被曝校舎 城山小学校

 長崎県五島へ帰省しました第2弾。今年の「長崎ミニさるく」は、浦上界隈の城山小学校へ行ってきた。長崎県人にとっては、被曝した国民学校として、有名な学校ではあるが、詳細は、まったく知らなかった。電車で、松山町で下りる時に、城山小学校は、ここで下りるんですか、と聞いたら、そうです、少し歩きます、というアドバイスをいただいた。長崎では、高校総…
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大川小学校の悲劇

 近頃は、第三者検証委員会ばやりである。あの、大川小学校の悲劇についても、第三者検証委員会の中間報告が出されたようである。しかし、その発表内容を見て、驚いた。Y新聞の見出しによると「津波対策の不備指摘」とあり、小見出しに「無警戒の土壌あった」とある。正直な話、検証そのものにウソはないと思うが、それだけでは、余りにも、現場だけの責任に、矮…
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原爆資料館の衝撃

 残念ながら番組そのものを見逃してしまったのだが、「ニッポン観光革命」という番組の中で、外国人観光客に一番人気のスポットが、なんと「原爆資料館」と紹介されていた。原爆ドームは世界遺産だが、世界遺産ではない「原爆ドーム」が人気№ワンで、ついでに言うと、2番人気は、これも世界遺産ではない伏見稲荷大社だという。改めて、世界遺産ではない確かなも…
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地震遺跡Ⅱ 文明と文化の岐路⑨

 大槌町で、町役場の建物を、地震の怖さを1000年後に伝えるために「残す」決断をしたらしい。聞くところによると、このようなケースでは、ほとんどの場合、地震を思い出したくない、という被災者の思いが強く、このような建物を「残す」決断をしたのは、初めてのようだ。部外者からの立場でいえば、あのような「未曽有」の出来事は、実物を残さないと、実感と…
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あれから2年

 もう、遠い過去のような気もするが、3月11日の災害ら、たった2年しか経っていない。WBCで、台湾に対して、感謝の垂れ幕が出たことが、話題になったが、巨額の寄付をしてくれた、台湾には、感謝、謝謝である。  あの時、遠くイスラエルのテレビで見た光景は、考えただけで、今でも背筋が凍りつく感覚がある。世は、アベノミクスなどと、浮かれている人…
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地震遺跡 文明と文化の岐路①

 3月11日で、あれから2年になる。犠牲者には、改めて、冥福をお祈りします。震災の遺跡を残すべきか、どうかで、住民の意見が対立していると、報道があった。強権国家である中国では、いたるところに地震遺跡があり、ところによっては、テーマパークのようにもなっていると聞く。住民本位の日本では、無神経な遺跡は、残されるはずもないが、後世の子孫に対し…
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