テーマ:50代以上のblog

毘沙門堂、安祥寺 敦賀・京都紅葉紀行③

 2日目(11月25日)  敦賀から京都までのルートは、三つあった。一つは、信長が戦い(金ヶ崎の戦い)に敗れ、京都に逃げ帰った山道のルート。ここは、司馬遼太郎が、「街道をゆく」で旅したルートなので、一番に興味深いルートなのだが、天気予報が、雨交じりだったので、敬遠した。二つ目は、琵琶湖西岸を南下する一般道のルートなのだが、せっかくの紅葉…
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ムゼウム敦賀 敦賀・京都紅葉紀行②

 鶏足寺からもとのPまで戻って、木之本IC(14:36)から、再び北陸道を走ると、敦賀は近かった(14:54)。トンネルを抜け、道が突き当たったところは、敦賀港だった。敦賀港は、存在そののが、感動的だった。背後には山が迫り、いかにも良港という感じの敦賀港は、昔の姿をとどめている様に感じられた。古くは、渤海国の使節が上陸し、近代には、19…
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鶏足寺 敦賀・京都紅葉紀行①

敦賀・京都 紅葉紀行               2019/11/24~11/29  初めの日(11/24) たまたま、懇意にしている京都のホテルが空いていた(11/25~11/27)ので、久しぶりに京の紅葉狩りに行くことを決めた。25日は、月曜なので、早起きを覚悟したのだが、この季節は、限りなく夜明けが遅い。出来たら、前日の日曜日に…
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バルチック琥波句旅日記⑳ バルト三国の旅エピローグ

エピローグ(10月10日以降) この日は、吉野さんがノーベル賞をもらったのだが、我々は、このことを知る由もなく、出発した。関東には、台風19号接近のニュースはあったが、ギリギリ間に合いそうだった。モスクワの待ち時間は長かった(約6時間)が、旅行記を書くのと、コーヒーブレイクを楽しんだので、買い物をする間もなく、乗り継いだ。カフェの椅子は…
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ルノワールとパリに恋した12人の画家たち

内容は、バリ、オランジュリー美術館の所蔵品コレクションだった。最高に良かったのは、すいていたこと。ゆっくりと、心行くまで、芸術の秋を観賞することができた。この展覧会が、すいていた理由は、展覧会を支えていると思われる、シニア層が、またオランジュリーか、オランジュリーなら、何度も「見たぞ」という、ということと、もう一つ、ルノワール展ならば、…
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トームペア 聖ニコラウス教会 バルチック琥波句旅日記⑱

第九日目(10月9日) 長かったような、バルト三国の旅も、観光は最終日である。この日も、天気はぐずつき気味で、傘を差しながらホテルを出たのだが、途中で気にならないような天気になった。最初は、上の町と呼ばれる、トームペアへ向かった。坂を登っていくと、左手にトームペア城、右手にアレクサンドル・ネフスキー聖堂があった。城は、13世紀に造られた…
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「歌の祭典」歌の原 カドリオルク公園 バルチック琥波句旅日記⑰

高速を降りて、最初の見学は、野外博物館だった。17世紀からの、各地の民家を、広い敷地に移築展示した施設で、フルに回ると、4時間はかかる、という説明だった。最初は、19世紀(農奴時代)の農家というのだが、巨大な建造物で、屋根は萱葺きなので、日本の農家とそっくりだった。恐らくは、農奴の身分でも、リーダー格の屋敷だと感じた。巨大な割には、一階…
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白鳥の湖 ハープサル バルチック琥波句旅日記⑯

 八日目(10月8日) また、雨の朝を迎えた。せっかくなので、出発の前に、バルト海の水を触ってきた。感触としては、それ程冷たくはなく、海水というよりも、ぬるっとした、水に近い感触だった。バルト海に触るのは、ヘルシンキ、サンクトペテルブルクに次いで、3回目かと思った。まずは、昨日来たルートを戻るのだが、例の埋め立て道路辺りは、葦が生えてい…
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サーレマー島 クレッサー城 バルチック琥波句旅日記⑮

 ムフ島と本島サーレマー島との間は、19世紀に埋め立てられて、つながったそうである。サッカー場の真ん中に、大きな樫の樹があって、2015年のヨーロッパの樹チャンピオンになったそうだが、車窓から、ちらりと見ただけだった。同じく、エカテリーナ女帝が、1880年代に、ロシア化を進めた時に、日本の聖武天皇の国分寺のように、地方に造らせた、立派な…
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エストニア ムフ島 バルチック琥波句旅日記⑭

 七日目(10月7日) この日は、移動が長く、ホテルの出発は、7:00だった。朝食の時に、日本のラグビーが3連勝、という話を聞いて、安心した。出発が早い割には、前夜はよく寝たのだが、バスに乗っても、しばらくは、寝ている時間が長かった。1時間半ほど走って、国境を越えて、エストニアに入った。「エストニアは、頭が良い」、というのが、自分の考え…
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人間の鎖 リガ旧市街Ⅱ バルチック琥波句旅日記⑬

 次に、リガのランドマークである、聖ペテロ教会の鐘楼に登った。中は、日曜日なので、ミサをやっていて、荘厳な音楽が流れていた。古式のエレベーターで、上に登ると、リガの街が一望できた。リガは、海運で栄えた歴史があるのに、海が見えないのは、不思議だが、正確には、河口の港で、海までは、15㎞だそうである。 先に、リガ城壁内の建物は石造り、とい…
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ユーゲントシュティール リガ新市街 バルチック琥波句旅日記⑫

 旧市街から、バスに乗って、新市街へ行った。新市街は、新開地であり、普通の近代都市であることが多いのだが、リガの新市街は、「ユーゲントシュティール建築群」という世界遺産に指定されている。ユーゲントシュティールはドイツ語だが、日本人には、アールヌーボー(フランス語)が馴染みやすい。さらに言えば、エミール・ガレやミュシャが、アールヌーボーの…
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猫の家 リガ旧市街Ⅰ バルチック琥波句旅日記⑪

六日目(10月6日) 予定では、リガの半日市内観光後、午後はフリーの日なので、9:00に出発した。ガイドは、ラトビア美人のUさんだった。バルト第一の大河であるダウガヴァ河を渡った。リガは、大昔は、密林と沼だったそうである。畑や牧草地は、人間が作り上げた景観なので、その指摘は、なるほどと思った。大河ダウガヴァを利用して、リガの地から、古代…
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ラトビア ルンダーレ宮殿 バルチック琥波句旅日記⑩

ラトビアの国境は、近かった。シェンゲン条約なので、EUのマークと、ラトビアの標記があるだけの国境だが、少し先に、検問所の、遺物が残っていた。景色は、リトアニアもラトビアも同じだった。森林の割合は、リトアニアよりも更に高い、とのことだった。最初の観光は、ルンダーレ宮殿だった。このバルトのベルサイユと呼ばれるルンダーレ宮殿は、何もない田舎に…
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リトアニア 十字架の丘 バルチック琥波句旅日記⑨

五日目(10月5日) この日は、出発が、8:00と早かったのだが、天気はバルトに来て、初めての晴れだった。気温は、3℃ぐらいで、とても寒く、原野のような原(恐らくは、牧草地か畑)が、霜で真っ白だった。途中で、日の出を見て、一日の無事を祈願した。ルートは、クライペタから北上して、まずは、十字架の丘を目指した。ローマの歴史では、バルト地方か…
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クライペタ旧市街 バルチック琥波句旅日記⑧

フェリー乗り場に、茸採りの人がいて、しばし交流した。そういえば、リトアニアは、森林が多く、石が無いので、普通のヨーロッパと違い、木造の建物が多いので、日本に似ていると思った。さて、クライペタの街見学である。歴史は、13世紀の、ドイツ騎士団による建都に始まり、長くドイツ領だった都市で、ハンザ同盟都市メーメルの方が有名である。散策の途中に、…
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クルシュー砂州 トーマス・マン博物館 バルチック琥波句旅日記⑦

四日目(10月4日) 天気予報は、晴れとのことだが、雲行きは、結構怪しげな出発だった。クライペタの街中を走ると、すぐに波止場になり、タイミングよく、フェリーに乗り込んだ。フェリーは、ノルウェーで、何度も乗って、楽しみにしていたのだが、バスは乗ったまま、5分ほどで、対岸の港に着いた。ガイドは髭が立派な紳士風の方だった。いきなりの説明は、向…
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カナウス旧市街 バルチック琥波句旅日記⑥

 観光は、この後、カウナスの市内観光へ、バスで向かった。相変わらず、黄金の秋は、素晴らしく、歴史の悲惨な出来事を忘れてしまいそうな、それでも何か、寂しそうな北国の秋だった。ちなみに、カナウスは、「北のカサブランカ」の異名もあるらしいが、一方で、この地で、ホロコーストも行われたようで、地勢的な悲しみもあるのかもしれない。ネムネス川に沿って…
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杉原千畝記念館 バルチック琥波句旅日記⑤

 リトアニアの秋は、ゴールデンオータムともいうそうで、黄葉の中を、カウナスへ走った。途中、杉原千畝氏の説明(イスラエル政府が探していた千畝氏の消息が分かり、感動の再会を果たしたあたり)を、МUさんが、話してくれたので、しんみりしてしまった。杉原千畝記念館(旧日本領事館)のあたりは、当時は森の中で、近くには、9軒の家しかなかったらしい。最…
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トラカイ城 バルチック琥波句旅日記④

 三日目(10月3日) 雨の国リトアニアは、今日も雨だった。最初の見学地は、トラカイ城だった。郊外への途中で、テレビ塔を見た。独立戦争時、世界が湾岸戦争に目が注がれている隙に、ソ連保守派が、リトアニア独立の芽を摘み取ろうとして、侵入したのだが、その時に、14人の、民間人が犠牲になった、とのことだった。さて日本でいえば、晩秋の雰囲気のリト…
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ビリニュス旧市街 バルチック琥波句旅日記③

後半の観光は、ビリニュス旧市街だった。期待していたビリニュス大学の構内へは入らず、ナポレオンが持ち帰りたかった、との逸話を残す、聖アンナ教会を見学した。バロックの石造りの建物が多いビリニュスでは、珍しい煉瓦造りのゴシックの建物だった。基礎の部分は先生、建物の部分は、生徒が作ったのだが、余りにも素晴らしい出来栄えだったので、殺されて、…
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ビリニュス新市街 バルチック琥波句旅日記②

 二日目(10月2日) 朝食前にミニ朝散歩をした。ホテルはビリニュス旧市街の「夜明けの門」のすぐ近くにあり、そこまでぶらぶらした。ホテルの部屋からの景色は、チェスキー・クロムロフに似ているのが、不思議に思ったが、同じカトリックで、同じ中欧の国だと思えば、妙に納得する、事実だった。食堂も、ロマネスクの構造が、とても素晴らしく、今にも、ミケ…
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バルチック琥波句旅日記① プロローグ

バルチック琥波句旅日記             2019/10/1~10/11  プロローグ 2019の秋は、ラグビーワールドカップが、日本で開かれている。日本チームのエンブレムは、満開の桜である。数日前のアイルランド戦は、世紀の番狂わせで、日本が快勝した。今回の旅の目的地は、バルト三国である。そこで、恒例の、巻頭句。  『桜沸く …
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東名開通50周年 とことこドライブ西遊記⑧ エピローグ

この日は、舘山寺へ向けての、ドライブだけになった。奈良の出発は、10:40だった。ナビは、当然、高速を推奨したのだが、時間の調整を兼ねて、国道25号線経由で、走ることにした。まずは、言葉だけで言えば、古代の山の辺の道に並行して走る、169号国道を走ると、途中、帯解寺の標識があった。もう一度は、行ってみたいとは思いつつも、天理まで南下して…
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西行終焉の弘川寺 とことこドライブ西遊記④

 弘川寺は、3㎞ぐらいなので、近かった。集落の奥に、立派な駐車場があり、アジサイが咲いていたが、都会化の波は、近辺まで押し寄せているようで、途中には、造成団地の側を走ってきた。弘川寺は、西行終焉の地で、塚があるのだが、途中には、西行堂という、壊れそうな庵があった。さらに登ると、薄暗い台地があり、そこに塚があったのだが、それは、西行を慕っ…
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日本100名城 千早城 とことこドライブ西遊記③

 三日目(6月15日) 朝、高知空港にS夫妻を迎えに行き、土佐市の青龍寺までドライブしたのだが、高知市周辺の道路は、見事に整備されていて、1時間ぐらいで、着いてしまった。道中は、お遍路で走った道なので、懐かしかった。ただ、この日は、低気圧の通過で、雨が強くなり、お寺では、雷も鳴るくらいだった。用事が無事に終わり、浦の内まで、横浪スカイラ…
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