テーマ:海外

キプロスの首都 ニコシア散策 東地中海(レバノン・キプロス)⑨

六日目(4月18日) 出発の時(9:00)には、快晴だった。まずは、バスの車窓から、ベネチア時代の城壁が見えてきた。16世紀というから、自分の「俯瞰する年表」から言うと、本能寺の変があった世紀になる。城壁にある3つある門のうち、ファングスタ門が最初の見学だった。開かれた門、というよりは、閉ざされた門、というイメージが強いので、当時のビザ…
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中東のパリ ベイルート散策 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑧

国立博物館のあたりは、前にもふれたが、内戦の激戦地だった。建物も、随分と銃弾の痕があったらしい(1点、銃眼の痕のあるモザイク画が展示されていた)が、現在は、修復されていた。内戦時代には、グリーンラインだった道路をしばらく走り、イエローハウス(正式には、ベイト・ベイルート=ベイルートの家)というものを見学した。イエローハウスは、一人の女性…
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レバノン国立考古学博物館 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑦

五日目(4月18日) 初めて、朝から晴れた。この日は、ベイルートの市内観光だが、この日のうちに、キプロスまで旅をするので、気持ちの上では、せわしい日である。最初の観光は、国立博物館だった。最初に、博物館復興のビデオを、13分見せてもらった。この地域は、レバノン内戦でも、激戦の地区で、その復興の様子を、見せてくれたのだった。瓦礫の中から、…
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十字軍のシドン 東地中海(レバノン・キプロス)⑥

海岸線まで降りてきて、バナナ林(見学前に、直売所のバナナをいただいた)やデーツ林の中にある、エシュムン遺跡を、見学した。泉の湧く聖地だったようで、古くは、バビロニアの石垣から、近くは、ビザンチンの教会跡まで、この聖地に、様々な建物が作られたようだ。エシュムンは、シドンの守護神で、中心は、エシュムン神殿だった。水を用いた神殿は、マチュピチ…
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レバノンの京都 シューフ山地 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑤

第四日目(4月17日) 朝は、雨が降っていたのだが、出発の頃には、雨が上がって、本当に良かった。この日の予定は、海岸線を北上して、シドン付近の観光をして、ベイルートに戻る、というものだった。途中、鳩の岩、という観光地に寄った。ベイルートの有名な観光地だが、岩の真ん中に、大きな穴が開いていて、それがアクセントになっていた。景色のレベルでい…
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ドッグリバー 英雄の碑 東地中海(レバノン・キプロス)物語④

 カディーシャ渓谷からは、昨日走った道を「逆走」するのだが、今度は、右側が地中海になり、左手に、ベイルートの高層ビル群が、霞んで見える景色は、なかなか絶景だった。ベイルートが近づいたあたりで、再び、左折して、山の方向に走り出した。この辺りは、ベイルートの、新興住宅街でもあるらしく、対岸には、造成された住宅団地が見えていた、やや、山深くな…
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カディーシャ渓谷 東地中海(レバノン・キプロス)物語③

三日目(4月16日) ホテルの前は、絶景だったのだが、それよりも、何よりも、パリの、ノートルダム寺院火災崩壊のニュースを聞いて、びっくり仰天した。お隣の、イスラエルの旅行で、東日本大震災の「悲報」に接したが、フランス人の気持ちをおもんばかると、気の毒になってしまう。この日の観光は、ここから、更に、標高を500m上げた地点にある、世界遺産…
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ビブロス遺跡 東地中海(レバノン・キプロス)物語②

初日(4月14日) 夜の遅いフライトなので、。午後、後泊予定のNホテルで手続きをして、時間があったので、コーヒーブレイクした。ホテルのロビーには、鯉のぼりが飾られていて、周りには、桜の花が最後の名残を見せていた。  『平成の 名残成田の 花吹雪』(さよなら平成 令和うきうき)  今回初めて、エミレーツ航空を利用した。ドバイ空港経由で…
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イラン・ペルシャ史

 現在、レバノンの歴史を個人的にまとめているのだが、これが、なかなか面白い。本来は、自分のためにまとめたものなので、正直「無責任」なのだが、せっかく作った「大作」なので、ネットに挙げてみることにした。ただし、レバノン史ではなくて、「イラン・ペルシャ史」である。 イラン・ペルシャ史  広義のイランは、イラン、アフガニスタンを含めて…
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スニオン岬 エピローグ 華麗なるギリシャ紀行⑮

 今回のギリシャの旅が決まる前に、宮本輝の作品を、断捨離の関係で、何作か読んだのだが、その中で、よく登場してきたのが、スニオン岬だった。もともと、興味があった遺跡なので、ここも、行きたかった場所だった。今回、トルコ航空に変更になった影響で、棚からぼた餅のように付いてきたスケジュールだった。途中は、自堕落を実行して、眠っていたのだが、岬が…
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古代アゴラ 華麗なるギリシャ紀行⑫

 5月10日(八日目・水) この日も、照美苦楽部の名に恥じない、ピーカンの空だった。一日フリータイムの日だが、面倒見の良い、E旅行社なので、前日に、Tさんコースを用意してくれていた。我々は、そのコースを検討した結果、昼食までを一緒にして、後半をクラミコス見学に充てて、ホテルに歩いて戻るルートにすることにした。10:00集合で、集まったの…
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パルテノン神殿 華麗なるギリシャ紀行⑩

 5月9日のサントリーニ島は、風も弱く、無事に飛び立ち、あっという間に、アテネ空港に着いた(10:00)。ここから、高速でアテネ市内へ向かい、アクロポリスへ向かった。すでに、11時に近い時間だった。ピレウス港には大型観光船が来ている、ということで、アクロポリスは、異常な混雑だった。アテネ神ゆかりのオリーブの林の上に、アテネ・ニケ神殿の、…
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サントリーニ島の一日 華麗なるギリシャ紀行⑨

 サントリーニ島は、本来ならば連泊で、一日フリーのはずだった。長身で親切なО氏など、何人かの人に、フリーの予定を、それとなく聞いていたのだが、ほとんどの人が、アクリティの遺跡見学だった。個人的には、古代ティラにも行きたかったのだが、みんなに賛同して、ここへ行くつもりにしていたのだが、今となっては、両方ともに、あきらめるしかない。しかし、…
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ミケーネ遺跡、エピダウロス 華麗なるギリシャ紀行②

 バスは、ペロポネソス半島に入った。植生的には、松とオリーブが目立っていた。半島の中も、高速道が走っていて、途中の景色も良かった。そして、お昼を過ぎ(12:15)、エピダウロスのレストランでの、昼食となった。メインは、名物のミサカという野菜パイのようなもので、チーズがたっぷりかかっていて、美味しかった。食事の後は、いよいよ、エピダウロス…
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コリントス運河 華麗なるギリシャ紀行① プロローグ

華麗なるギリシャ紀行 照美苦楽舞              2017/5/3~5/12  5月3日(第一日目・水) 日本国憲法が公布されて、70年になる憲法記念日である。世は、平成で、平和の真っただ中、と言いたいところだが、合衆国にトランプ大統領が誕生してから、100数日経ち、日本近辺が、俄かにきな臭く、日本海には米空母カールビンソン…
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想い出のクレタ島

 地上波のテレビがつまらなくなって久しいが、BSは、まあそれなりに面白い。「世界ふれあい街歩き」は、見ている割合は、4割ぐらいかと、思っている。たまたま、イラクリオンをやっていた。聞いた風な名前だな、と思って、思い出したのが、クレタ島だった。ギリシャに旅した時には、ロードス島の方に、思い入れが強かったので、クレタの方は、比較的、関心が薄…
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シルクロード始めの終り 絹の道仏の道 河西回廊24

 今を去る11年前の2001年7月24日、西安城の西の門から、一本の道が見えていた。 「緑陰が シルクロードの 初めかな」(訪ねてみたい 沙漠の果てを)と詠んだシルクロードの旅が終わった。沙漠の果てには、カシュガルという街があり、さらにその先には、パミール高原があった。昨年の春、カラクリ湖という玄奘三蔵が天竺からの帰りに通ったであろう…
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河西回廊の旅 エピローグ 絹の道仏の道23

 お昼には少しばかり早かったが、陽関のアグリレストランで、昼食になった。朝食の前に、葡萄の食べ放題もあった。馬乳葡萄という種類の葡萄で、色は緑色、種はなく、楕円形をした甘い葡萄だった。ここで1時間ばかりのんびりして、ちょうどお正午ごろに出発した。途中のゴビタンに、ここまで派遣されて、虚しく死んでいった防人(屯田兵)たちの、土饅頭のお墓を…
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河西回廊の果て 陽関 絹の道仏の道 河西回廊22

 9月22日 十日目 いわゆるラス前の日である。西安へのフライトが午後便、ということで、陽関の観光が組み込まれていたのだが、これもTCの提案で、西千仏洞に寄ることになった。8:00にホテルを出て、西千仏洞が近づくと、西の方に天然の寝釈迦仏が見えてきた。見た目には、阿蘇山の寝釈迦仏が立派に見えるが、古代はここが聖地だったらしく、ここに石窟…
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漢代沙州故城 絹の道仏の道 河西回廊21

 気持ちの上では、お腹が一杯なのだが、時間的にはまだ余裕がある、ということで、いくつかのOP見学をした。最初が、夜光杯の工場。詩に歌われた夜光杯が瑠璃製だったか、このような玉製だったかは分からないが、現代の夜光杯は、三危山から取れる玉を加工していた。驚いたのは、鉱物が混ざっているので、磁石にくっつくことで、表面張力など、物凄い力があった…
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敦煌莫高窟(後編) 絹の道仏の道 河西回廊⑳

 96窟(初唐)東の大仏。有名窟なのでパスしたいが、5段の床の、西夏時代の蓮のレンガが、品があって、とても良かった。大仏(35.5m)は、武則天に似て、女性的だった。莫高窟は、壁全体に壁画が描かれていた時代があるそうで、その一部が残されていた。また、427窟のように、楼閣が現存しているのが5棟あって、一番古い楼閣が、上の方に見えていた。…
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敦煌莫高窟 絹の道仏の道 河西回廊⑲

 カメラを預けて莫高窟の見学区域に入った。するといきなり、予定外の323窟(初唐)に入ったので、びっくりした。張騫西域出使図のある窟で、張騫は貴重な画だったが、神通力を有した怪僧仏図澄を描いた部分が、面白かった。328窟(初唐)は、特別窟に劣らない質の高い塑像があった。特に、後背と、釈迦や弟子たち(阿難や迦葉)の衣に残る金がとてもきれい…
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敦煌 鳴沙山 絹の道仏の道 河西回廊⑱

 敦煌博物館の後は、ミーハー的には、莫高窟よりも人気があるという、鳴沙山へ行った。ご多聞にもれず、テーマパーク化された鳴沙山は、入り口のモニュメントをくぐり、これも恒例の電気カートへ乗った。鳴沙山の麓は、都会の公園にあるような花々が植栽されていて、その意味では興ざめだった。やがて、月牙泉の見えるあたりで下車した。観光時間は40分、鳴沙山…
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玄奘の道 絹の道仏の道 河西回廊⑰

(都合で、嘉峪関から瓜州までを、ワープしてしまったので、前半がこの部分、後半はさらに敦煌へのルートです)  昼食は、嘉峪関の市内でとった。名前とは裏腹に、ゴビタンにできた工業中心の新興都市である。この工業都市には東北地方出身者が多いので、餃子がおいしい、とのことだった。次が、安西ともいわれる瓜州である。古い資料には安西とあるが、中国語…
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楡林窟 絹の道仏の道 河西回廊⑯

 9月20日 八日目 8:30に出発した。途中は、綿花畑が多かった。一般に、背が低い綿花のようだった。すぐに、かつて常楽城と言った波城子へ着いた。小さな城跡だが、かつて、玄奘も立ち寄った、由緒ある城とのことだった。我々も、城内で宝探しをしたが、陶片しかなかった。良いものは、博物館にあるらしい。タマリスクが咲き、なかなか風情のある城跡だっ…
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長城の果て 嘉峪関 絹の道仏の道 河西回廊⑮

 魏晋墓から嘉峪関はすぐで、30分ほどで着いた(10:30)。嘉峪関は、中国政府の☆☆☆☆☆の観光地だそうで、その分、テーマパーク化も半端ではなく、ここをテーマに、玄奘の壁画を描いた、平山郁夫画伯は、さぞ嘆いているだろうと思った。ここは、巨大駐車場、電気カート、モニュメント、過度の復元、過度の修復という、中国のテーマパークの五原則がすべ…
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漫画のルーツ魏晋壁画墓 絹の道仏の道 河西回廊⑭

 9月19日 七日目 この日は、8:30の出発。嘉峪関は近いのだが、TCのお勧めで、OPとして魏晋壁画墓へ行った。何の変哲もないゴビ灘に、土饅頭がぽつぽつとあり、そこが魏晋墓らしかった。ちょっとした建物があり、ここが公開している6号墓だった。墓の様子は、先日の漢墓とほぼ同じく、レンガを積み重ねた造りで、初めは羨道をどんどん降りて行った。…
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霍去病の街 酒泉 絹の道仏の道 河西回廊⑬

 漢時代の古城である黒水城ここから、酒泉までは、一般道を走って約1時間だった。この街も郊外はポプラ並木で、街中は槐並木だった。街の中心鐘鼓楼を右折すると、並木が突然、柳に変わった。酒泉公園も典型的なテーマパークだった。中国の歴史が刻まれたモニュメント通りをどんどん進むと、左手に四角いプールがあり、そこが伝説の泉だった。曹さんの話では、も…
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幻の漢代古城 黒水城 絹の道仏の道 河西回廊⑫

 まだ張掖いる。昼食後、中国では珍しい木造の塔があるというので、見に行った。楽しみにして行ったら、中央部がレンガ造りで、外側の屋根などの部分が木造という、なかなか珍しい構造の木塔だった。ここから、高速に入ろうとして驚いた。入口の直前になって、何の予告も無しに、道路工事中をしていた。仕方がなく我々はUターンを余儀なくされた。中国のお役所仕…
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マルコポーロの街 張掖 絹の道仏の道 河西回廊⑪

 9月18日 六日目 この日もロングランなので、8:00に出発した。恒例の横山TCの朝の講義は、マルコ=ポーロだった。マルコは日本をジパングと紹介したが、これは中国江南地方の日本を表すジーベンから来たものだろうと、断定していた。この講義の後、待望の喜多郎のCDを流してくれた。風景も、ようやくシルクロードらしくなってきた。道は、やや乾燥し…
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