三浦和義的心

 沢木耕太郎著「馬車は走る」を読んだ。沢木が、インタビューを試みて書いた、6人のいわば評伝みたいなドキュメント本である。最後に登場したのが、かの三浦和義「氏」だった。現在、裁判が行われている木嶋佳苗被告の事件と、何となく、類似点があって、「氏」の部分は、一気に読んでしまった。記憶が正しければ、彼は殴打事件では有罪、もう一つの事件では「疑わしきは罰せず」の判決だったように記憶している。沢木は、一流の感覚を持っているので、彼が白か黒かは、分かっていたのではないか、という期待があった。「氏」へのインタビューは、「氏」が逮捕される数日前からのもので、もし、彼の逮捕が数日遅ければ、インタビューが完成していただけに、やや半端なのが惜しまれる。彼が、白状するかどうかに対して「「騒ぎが始まった直後だったら分からなかったけど、この一年八ヵ月で、いろいろ訓練させられたから」という下りは、実質的に、白状しているように思える。沢木の鋭い観察によれば、「彼が嘘をついて言い逃れようとすると、必要以上に饒舌になる」のだそうで、彼を週刊誌で告発した安倍隆典のシナリオに対しては熱っぽく語ったのに対して、それに反証する「氏」自身のシナリオの時には、もっと空転していたそうで、判定としては、やはり「黒」に軍配があがるようだ。
 どうして、「氏」のような人物が世に登場したのかについて、「倫理も道徳もどこかに消えていた。存在したのは、AかBか、○か×か、二者択一の世界に倫理や道徳は、入り込む余地はなかった。しかし、生きていくためには、道徳まがいのものを身につけなくてはならない。だから、あらゆる場所で、あらゆる機会に、学び、学ばせられる。しかし三浦は何かの理由で学ぶことを拒否し、彼の両親は何かの理由で学ばせそこなったのだ」と観察している。実は、「氏」も沢木も自分も、同じ年に生まれていて、時代的な感覚は、ぶれていないと思うのだが。
 正直な読後感を言わせてもらうと、木嶋被告よりも小沢氏のほうが、感覚が似ているようにも感じた。小沢氏は、法に反しなければ、何をしてもОKの主張の持ち主に思われるが、つまるところは、無神論者のプラグマティズムなのか。

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