チェコの悲しみ

 旅には、思い入れがあるかどうか、が一番大切だと思う。行ったことがないから行く、という理由は、総論としては良し、かもしれないが、各論としては、いかがなものか、と思う。今回の旅で、チェコの人形劇に、ぜひ行きたい、とTCに相談している人がいた。個人的には、話す機会がなかったので、思い入れの度合いは、分からなかったが、帰る時には、大きな人形を、二つも抱えていたので、それなりの思い入れがあったのだと、推測された。かつて、人形師のツムラジュンザブロー氏が、チェコの人形を訪ねる番組を見た記憶がある。チェコの人形劇は、チェコが、ドイツの支配下に入り、チェコ語の使用を禁止された時の、抵抗の手段として、発達したらしい。
 チェスキークロムロフについては、別のところに書いたので、繰り返さないが、今回の旅で、カルロヴィヴァリへ行った、ゲーテが何度も来たので、旅先のホテルが、今でも名所として、紹介されていた。
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これは、最近聞いた話だが、ドイツの歴史では、ドイツ最古の大学は、プラハ大学と教わるそうである。もちろん、現代では、プラハはチェコでしかないわけだが、中世には、神聖ローマ帝国の一部として、広い意味の「ドイツ」でもあったのだろう、と推測する。チェコのドイツ国境地域は、教科書では、ズデーテン地方という名前で登場し、ナチスドイツが、民族自決を振りかざして、英仏との妥協(ミュンヘン協定)して、侵略の第一歩の地域、として記憶されている。このあたりは地勢的には、100%、チェコの地域だと確信したが、一方で、住民の多数を占めた、ドイツ人は、どうなったのか、疑問だった。最終的には「ドイツ=チェコ和解宣言」ということで、ドイツ人を追放した行為は「不法行為」として、確認されたが、同時に、この遠因がナチスであることを確認し、最終的には、両国の不法行為は、過去のものとし、未来志向を構築した、そうである。
 大国のはざまで、いじめられたチェコ人の歴史、そしてチェコの中のマイノリティとしていじめられたドイツ人、というに二重の意味での「悲しみ」が垣間見えた、チェコの旅だった。

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