ビルケナウ強制収容所跡 ポーランド・チェコうちゅう旅行記⑧

 アウシュビッツよりも恐るべき施設とは、第二アウシュビッツとも呼ばれた、ビルケナウである。ここオシフィエンチム全体の地図があったが、ビルケナウは、アウシュビッツの何倍も大きな施設(アウシュビッツが28棟に対して、300棟以上)で、住民を立ち退かせ、本格的に囚人たちを処置する施設として作り上げた、魔牢とでも呼ぶべき施設だった。
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ビルケナウは、アウシュビッツから約2㎞はなれた場所にあるとのことで、バスで移動した。のんびりとした麦畑の向こうに、見覚えのあるシントメリックな建物が見えてきた。見ようによっては、絶景である。
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しかし、中央は鉄路が通っていて、この鉄路で、多くのユダヤ人が欧州各地から貨物車で運ばれてきた。このゲートは、死の門と呼ばれているらしい。最初の見学は、この死の門の上にある、見張り塔からの眺めだった。
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とにかく、だだっ広い施設である。右手には木造バラックがいくつかあり、その向こうには、暖炉の煙突が無数に見えていたが、まるで墓標のようで、不気味だった。
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左手は、レンガ造りの収容施設が見えていた。門をくぐり鉄路に沿って歩いて行った。左右には鉄条網があるのだが、ここにタンポポやデージーの花が咲いていた。
デージーや アンネのように 楚々と咲く』(身の毛もよだつ 地獄の畔)
 ビルケナウは、アンネ・フランクが収容されていた場所でもある。僅か、52日間だった。その後、ソ連軍が迫ってきたので、ベルゲン・ベルゼン収容所に移され、腸チフスのために死んだのだった。ここに、貨車が一両だけ置かれてあった。
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このような貨車に詰め込まれて、ヨーロッパの各地から運ばれてきたらしい。そして、この近くには、選別のポイントがあった。優秀なドイツ人の医者が、労働に使えるものは収容所行き、役にたたないものはガス室行きを、目配せで選別した場所らしい。
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アンネは、幸いなことに、ガス室へは送られなかったものの、結末については、ここに書いたとおりである。最後に、木造のバラックの方を見学した。手前にはトイレ・洗面所棟があり、決められた時間にしか、トイレには行けなかったようだ。そもそも、木造バラックは、家畜用に設計されたバラックで、6頭ぐらいのスペースに60人ぐらいを詰め込んで、収容していたようだ。
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ビルケナウの凄さは、スケールもさることながら、当時のものが、そのままに残されていることで、残酷なことが、ストレートに伝わってきた。「文明」の残酷さを、痛切に感じた。

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