「第三の波」A・トフラー著

 最近のベストセラーとして「21世紀の資本」が有名であり、高価な本という印象があるが、A・トフラー著の「第三の波」は、昭和55年の出版で、値段が2500円だった。45年ぐらい前の本であり、21世紀の世界を、予見した本ということになる。
 現在国会でもめていることの一つに、「労働者派遣法改正」がある。明らかに、経営者サイドには有利な「改正」だと思うのだが、現実に影響があるのは、働く世代であり、本気で考えないことには、どんどんと押し切られていくような気がする。ところで、トフラーは、1977年の調査だが、「ほとんどの仕事がパートタイム労働で占められる可能性がある」と述べている。派遣労働者とパートタイムとは違うが、彼の、このような予見が、第三の波なのかもしれない。かつて、石垣島へ行ったことがある。ここの観光バスのドライバーが、派遣労働者であることを聞いて、働き手の少ない離島に、働き手がいるという「派遣労働者」のシステムは、なかなかスグレモノだ、と感じたことがあった。世の中に、派遣労働のスタイルが気に入っている人たちがいるのは、確かな事実である。ただし、世の中の多くの働き手が、正社員で働きたいと思っているのも事実である。現実の労働者が、このように二分化しているのにかかわらず、一方だけの利点を言いすぎると、結局のところ、国と言う入れ物は、何とか取り繕うことは出来ても、国民と言う、一番大切なところが、不幸になりそうで、ちょっと嫌な気がする。
 トフラーの主張で面白かったのは、「余暇は、自分自身のために商品やサービスを生産する活動である」という部分だった。日本人は、働くことが好きで、リタイアした後でも、何か仕事をしていないと、不思議がられる傾向にある。自分の考えでは、働くことだけが、世の中に貢献するわけではない、と考えていたので、トフラーの考えは、うれしいような気がした。「自分で働いて、自分で消費する生産=消費者も、働いていることは変わりがない」のに、このことを無視するので、実態と数字とが、遊離しているようだ。彼の説によれば、「失業」だって問題ではないらしい。彼によれば、フリードマンの言葉を引用して「貧しい人々が求めているのは…職ではなくて、食物と雨露をしのぐ住宅」と書いている。説の主要な部分は、「生産=消費者が重要な存在として登場した」と言うことらしい。「第三の波の時代には、交易を目的とする生産が半分で、自分自身のための生産が半分」という卓見である。生産=消費者という考え方は、「A部門=報酬を目的としない活動。B部門=交換が前提のモノやサービスの生産」という二つの部門のうち、A部門のことを指すらしいが、ぶっちゃけて言えば、家庭内での家事、自家農園、D・I・Y、セルフのスタンドにおける労働などが入るらしい。政府などがやっている施策が、どうも「頭でっかち」だと、思っているのだが、トフラーによれば、「『効率』というものは、AB両部門の経済を、総合的にとらえて、意味がある」らしいので、眼から鱗が取れる思いがした。
 自分の直感として、世の中は、もう一度、封建社会みたいな時代になるのではないか、というものがある。もちろん、人権を無視した「封建社会」は、アウフヘーベンしなければならないが、余りにも、「何でも自由」と言うことが、特に、今の日本では、多すぎるような気がする。日本も日本人も大好きだが、「決まりがないから、何をしても良い」と考える日本人が、上は政治家から、下は一般の庶民まで、蔓延しているのは、いただけない。トフラーは、「第三の波の第一原理=マイノリティ・パワーの重視」と喝破し、第二の波の、最大遺産の一つである「間接民主制の多数決の原理」に疑問を呈している。現在の日本においても、国会は、自民党が多数を占めていて、思うように物事を決めているが、各論においては、反対の世論のほうが多い案件も多発している。トフラーは、直接民主制の復権にも触れいて、物事の決定には、議会の議決が50%、世論を数値化したものを50%とするようなことを提案しているように思える。最近の、大阪都構想は、直接民主制である、住民投票で決着したが、トフラーの方法で決めたら、はたしてどうなっていたのか、興味深いところである。トフラーは、地域主義の台頭と、国家の崩壊を予言しているが、今の「ぎあいえす」などは、何なのだろうと、思ってしまう。

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