女城主の山城 岩村城 美濃街道 城と寺と邑の旅①

美濃街道 城と寺と邑の旅             2015/10/25~10/31
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 10月25日(日) 旅一之巻 準備万端、木枯らし一号が吹いたこの日、オリオン星が輝いていた。3:33に出発、3:42には日の出ICを通過して、久しぶりの中央道に入った。日曜日ということもあり、いつもよりもトラックが少なく感じた。予定通り早めに、4:39に境川PAに入った。次も予定通りに、5:38に諏訪湖SAに入った。わずかに、白々した時間になっていた。いつもなら、朝ラーメンなのだが、信州なので、朝蕎麦にした。すっかり明るくなった6:07に出発、伊那谷はさすがに、走りやすかったが、お腹に血が廻ったので、少々眠くなってきた。早めに、座光寺PAで休憩(6:52)したのだが、それでもまだあくびが出たので、もともとの予定である神坂PAに7:28にまたまた休憩した。今度はしっかり、休んだので、何とか元気を回復して、8:09に出発、中津川ICはすぐに出た。しばらく、高速と並行して国道19号線を恵那方面へ走り、国道257へ左折した。途中、阿木川ダム湖を越え、ナビの指示通りに田舎道に入ったら、8:47に町の歴史資料館の駐車場へ着いた。
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すでに、資料館は開いていたので、最初に、見学をしてから、岩村城に登ることにした。
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城の歴史は、鎌倉時代にまで遡るらしいが、華々しいのは、やはり戦国時代だったようだ。この地は、尾張の織田と、甲斐の武田との間で、揺れ動いたようだが、有名な女城主というのは、信長の叔母にあたる人物だったようだ。地図で見ると、搦め手から車で攻めるルートもあるようだが、迷わずに大手から攻め上ることにした。下の方は、武家屋敷だったようで、下田歌子の史跡などもあった。
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途中からは、立派な石畳の道になった。日本にも、多くの石畳の道があるが、立派さにおいては、日本一だと思った。
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登りは、八百米ということで、百米ごとに標識があるのもなかなか良かった。中腹にも、立派な石垣があり、上の方はやや平らになっていた。岩村城は、別名霧が城ともいうらしいが、城内には、今でも飲めるような水が湧いているので、守るのにも、固い城だと思った。ハイライトは、六段の石垣のある本丸だが、順路にしたがって、右手から攻めてみた。
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本丸は、広々としていた。
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最終的に、信長はこの城を取るのだが。彼がこの城に来たのが、本能寺の変の、わずか80日前で、あの森蘭丸も、一緒にこの本丸まで来た、と案内板があった。
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ここには、有料(百円)の案内メッセージがあったので、代表して、百円玉を入れて、聞かせてもらった。音楽が、やや無粋な感じもしたが、それなりに面白かった。
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最後に、本丸からの景色をスケッチしてから、降りたのだが、六段の石垣の、角の部分の造形がとても素晴らしくて、感動した。
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もう一つ、下る途中から眺めた、岩村の城下町の景色は、江戸時代か、と錯覚するほど、古い屋根の波が見えていて、鳥肌の立つ、素晴らしい眺めだった。降りてきたのは、11:00ぐらいだと思うのだが、城下町の散策に行くことにした。様子が分からないので、ゆるゆると下ってみたら、本当に江戸時代に紛れ込んだような、場違いの家並みが現れた。
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これはいかん、と思って、戻ろうか、とうろうろしている時に、立派な観光駐車場を見つけた。観光バスも停まっていて、なかなかにぎわっていた。最近では、犬山の城下町を散策して、それなりに良かったが、岩村の城下町は、ほとんどやらせが無く、あったとしても、感じないような、上品な造りだった。
 観光案内所があり、カフェなども教えてもらったが、ハヤシライスのあった、お店に入った。何でも、岩村藩の藩士で早矢仕という人物が始めたので、ハヤシライスというらしいが、早矢仕の名は、丸善のお店でも見たことがあるので、恐らくは関係があるのだろう。
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味は、それほどしつこくなくて、とても美味しかった。プラス100円で、本格的なコーヒーが飲めたのも、うれしかった。ここの名物は、長崎から伝わったカステラらしくて、試食をしたら、素朴な味で美味しかった。ただ、カットした単品が無く、1週間の賞味期間なので、カステラはあきらめて、もう一つの名物らしい、栗羊羹をゲットした。栗は、この地方の名産で、今が旬の味とのことだった。最後に、勝川家を見学した。ウナギの寝床みたいに長い敷地で、中庭があり、お城から移築した建物があって、とても良かった。
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