長城の果て 嘉峪関 絹の道仏の道 河西回廊⑮

 魏晋墓から嘉峪関はすぐで、30分ほどで着いた(10:30)。嘉峪関は、中国政府の☆☆☆☆☆の観光地だそうで、その分、テーマパーク化も半端ではなく、ここをテーマに、玄奘の壁画を描いた、平山郁夫画伯は、さぞ嘆いているだろうと思った。ここは、巨大駐車場、電気カート、モニュメント、過度の復元、過度の修復という、中国のテーマパークの五原則がすべてそろっていた。それはそれとして、我々も同じ手順で進み、復元された東閘門から入場した。
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右手の壁は、版築らしく、ここだけは何とか古様を保っているように思った。遠くに、嘉峪関を象徴する城楼(光化楼)が見えたので、簡単なスケッチをした。
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幾つかの建物(工事中の文昌閣や関帝廟)
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を回り込んで、朝宗門(南の門)を入ると、巨大な武者だまりがあった。ここを左に光化門を入ると、ようやく核心の内城に入った。
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ここから城壁に上がるのに、左の馬道か右の階段があるのだが、珍しい急坂の馬道を登ってみた。
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ここまで上がると、目の前に光化楼、下には城内城外の様子、遠くには祁連山の白い山脈
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が見え、絶景なので、記念写真を撮った。一般に、嘉峪関は、長城の西端とされているが、実際には、まだ西の方に長城が連なってみるのが見えた。
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嘉峪関に限らず、古代の関所は、関所としての機能の他に、水を守る、という機能も持ちあわされていたとのことで、池の跡なのか、四阿が見えていた。
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城壁から遠くを眺めていると、突然、チムール軍がこの城壁を攻めてくる軍馬の叫びを聞いたような錯覚がして、ちょっと身震いがした。実際には、チムールの死によって、チムール軍はここへはやってこなかったのだが、幻想が起こったのかもしれない。
「“チムールだ” 嘉峪関に 羊雲」(歴史のもしやに 我は身震い)
 城内に目をやったら、古代の兵士に扮したスタッフがいて、すぐに興ざめしてしまった。
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ところで、敵楼には、一枚のレンガという伝説のレンガが、さりげなく飾られていた。
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長城博物館というのがあるので、ぶらぶらとそちらまで歩いた。資料によると、漢代の長城は敦煌郊外の玉門関まで続き、明代の長城は敦煌よりはるか手前の嘉峪関までなので、明の長城のスケールが小さいようにも思えるが、東の方は、海の丹東から始まっているので、簡単な比較は難しいと思った。他では、明代の烽火で何人の敵を知らせるかの表があり、一烽=100人、二烽=500人、三烽=1000人、四烽=5000人、五烽=1万人以上というのが面白かった。ここにも、画像せん(レンガ画)があったが、唐三彩の少女が何にもまして、可愛かった。ここから、再びカートに乗り、嘉峪関見学を終えた。

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