頼山陽の旅

 ようやくにして「頼山陽」上下巻を読み終えた。本来なら、読後感想、と行きたいところだが、彼の人となりが、余りにも面妖複雑なので、後回しにして、彼の旅の話をしたい。江戸時代は、封建制の時代なので、旅行はさぞや難しかっただろう、と想像するのだが、実際には、庶民はお伊勢参りなどをした様子だし、士族(正しくは、武士階級)の人たちは、参勤交代などでの、公用の旅が多かったようだ。山陽は、若かりし日、脱藩をして、士族階級からは抜けていたらしいのだが、教科書的な「士農工商」の枠にははまらない、自由人として活躍したらしい。ただし、籍は広島藩にあったらしく、何かの時には、許可が必要なこともあったようだ。九州の旅については、「旅男・旅猿・旅芝居」に書いたので、省略するが、その他の旅のほとんどは、故郷の芸州広島と京の往復である。父親の春水は、広島藩の藩儒なので、芸州広島の街中である。現在、広島には、頼山陽史跡記念館がある。残念ながら、原爆で焼失したものを、現在は復元しているらしい。若き日の山陽は、宮島に盛んに遊びに行った様子である。広島への途中には、頼家の本貫地の竹原があり、ここには叔父の春風がいて、何度も訪ねている。もう一か所、山陽の生涯を眺めれば、師に相当する菅茶山の神辺にもたびたび寄っている。菅茶山宅は彼の廉塾と共に、特別史跡に指定されている。彼は、九州漫遊の旅の帰りにもふるさとの広島に寄るのだが、そのまま彼の生母(梅颸)を、京まで連れてきて、親孝行をする。これは、彼にとって、一世一代の親孝行だったのだが、その後も計4回も京をはじめ、遠くは伊勢参りまで孝行旅行をすることになる。京都に、山紫水明処という名所があることは知っていたが、まだ行ったことはない。ここは、京における最後の住まいだったところで、そもそも「山紫水明」という言葉は、彼の造語である。彼の墓は、長楽寺にある。東山にあり、行ったことはあるのだが、その時には、山陽のお墓には、気が付かなかった。
 現在のところ、旅に行くような状況にはないのだが、広島には、ぜひ行ってみたいね、とはしばしば話していた。一番の目的は、広島美術館のゴッホの絵を観ることなのだが、広島の見どころは、頼山陽史跡記念館にも、ぜひ足を延ばしてみたい。宮島は、公私を含めると、計4回行っているが、不思議なことに、大鳥居が満潮の景色を見ていない。昔、職場の同僚で、世界中を個人旅行で駆け巡っていた人物がいた。彼によれば、世界で一番きれいなところが、宮島だった、と話していたことが印象に残っている。おそらくは、満潮時の大鳥居の景色だと思われる。このブログの途中で、オバマ大統領の広島訪問の報が入った。核兵器廃絶の演説一本で、ノーベル平和賞をもらった米大統領とすれば、遅きに失した感じはあるが、来ることに反対する理由もない。これは、政権の手柄にしたいらしいが、日本国民の7割が賛成している、という事実の方が重いと思う。広島は、日本人として、行くべき聖地の一つだと思われるからである。

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