イラン歴史の旅ペルシャ秋遊①プロローグ

イラン歴史の旅ペルシャ秋遊                   2018/10/12~10/22
 プロローグ 平成最後の10月である。今年の8月9月は天気が安定せず、10月の旅を計画した。「イラン世界遺産の旅」というツアーに、滑り込みで、行くことになった。イランは、もちろん古のペルシャであり、少年時代に憧れたアレキサンダー大王ゆかりの、ペルセポリスが、一番のモチベーションだった。普段は、棋道に没頭しているのだが、頭をイランの歴史に切り替えたのは、出発の数日前だった。一番の難関は、資料不足だった。わが家にあるのは、ペルシャ帝国の歴史一冊があるものの、通史としてのイラン史の本が無かった。大きな書店でも調べてはみたのだが、中公新書のものは、絶版だった。結局、資料にしたのは、講談社新書のアジア歴史シリーズ・中東の歴史だけだった。他に、交通公社が編集した、「東方見聞録」を代表するような、旅の本のダイジェスト本が出てきた。その中に、「亜歴山ペルシャ遠征記」という本があり、アレキサンダーを亜歴山として使おうと思った。
 『亜歴山 秋たけなわの ペルシャ入り』(シルクの道の 空を飛ぶなり)
今回の、イラン・ペルシャの歴史は、調べるほどに、難解で、自分でも頭をすっきりさせるために、ミニの通史を書いてみた。イランは現在の国名だが、アーリアとほぼ同義である。ペルシャは、日本のことを「やまと」と表現したことに似ている(中国の「漢」にも)。民族の名前(現地ガイドディバ氏の解説)であり、民族の名前の発祥地の名前でもある。当然のことながら、古は、帝国の名前であったことは、いうまでもない。通史は、時間のない中で、まとめたので、細かい間違いも見つかったが、自分なりには、なかなか面白かった。旅の後半で、数人にコピーをされて、読んでもらったのだが、通の人には、なかなか好評だったようだ。前日になって、中公新書の「シーア派」も何とか読み終えたので、こちらも、何とか自分なりにまとめることが出来て、良かった。世界情勢としては、トランプ大統領が、イラン苛めをしていて、経済的には、苦境を伝えられているさなかの、イランの旅となった。
 最初の日(10/12) ツアーの集合は、20:20だったのだが、いつもの例で、早々(11時過ぎ)にわが家を出た。結論だけを書くと、首都高・山手トンネル経由、後泊予定のホテルに車を停めて、15時過ぎに、第二ターミナルへ着いた。カタール航空のフライトは、ほぼ定刻(22:20)にテイクオフしたが、夜航便なので、何もせずに、寝ることにした。結局、食事がでるので、無理をしない程度に、夜食を取り、その後は、自然に眠りに着いた。ただ、東京からドーハまでのルートが、なかなかに興味深かった。まずは、朝鮮半島を横断して、ほぼシルクロードに沿うルートで、中央アジアを横断し、ブハラあたりから、やや南に舵を切り、現地時刻(-6時間)の3:30に着いたので、実質11時間のフライトだった。ただ、入国で、プライベート室まで連れていかれるハプニング(貴重品入れの件)があった。テヘランまでのトランジットが、4時間もあったので、焦らなくて良かった。ドーハ空港は、浦島太郎のように、昔とは違っていた。カタールのピンバッジをゲットしたので、首尾は上々だった。
 二日目

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