シラーズ 薔薇のモスク イラン歴史の旅 ペルシャ秋游⑨

 パサルガダエから、シラーズまでは、1時間以上かかった。途中には、ペルセポリスも遠望できた。シラーズの入り口には、門があり、市内は混雑していた。市内、最初の見学は、エラム(楽園)庭園だった。ガージャール朝の庭園で、日本では、薔薇庭として名高い。園の中心には、エラムパレスという建物があった。
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正面の壁には、とてもイスラムの国とは思えない、妖艶な絵があって、確かに、楽園みたいな感じだった。
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薔薇庭は、秋ということもあり、はっきり言えば、少し寂しかった。
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最後に、ハーフェズ廟を見学した。ハーフェズは、ドイツのゲーテのような国民的詩人との解説だった。14世紀、ティムールがイランを征服した1388年の、翌年に64歳で亡くなっている。イランにペルシャ語を定着させた政権は、9世紀のサーマーン朝らしいので、その後、彼のような国民的詩人が出て、ペルシャ語を確立した、ということになるようだ。
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日本に、無理に当てはめれば、日本語を定着させることに力があった人物は、夏目漱石ではないかと思うのだが、自分の買いかぶりかもしれない。ガイドのディバ氏が、ペルシャ語の詩を読んで、TCのYさんが日本語訳で読んでくれたのだが、「酒」が出てきたのが、とても気になった。
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現在の、タテマエでは、禁酒の国だからである。途中、ナッツ屋さんに寄った。ピスタチオや干し杏、干しイチジクなどをゲットした。ペルシャで、初めて猫を見た。
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夕食は、D嬢のお誕生会だった。19:50にホテルに着いた。
七日目(10/18) シラーズ初日も天気は良好。見学の都合で、7:30に出発した。ホテルの隣は、立派なモスクだった。余談だが、イランでは、モスクの近くは地価が低く、遠い方が、地価が高いので、現在のイランの信仰心を、如実に表しているらしい。しかし、ホテルは五つ☆の立派なホテルで、7階からの眺めが良く、シラーズは、京都のような感じの、盆地の街だった。さて、最初の観光は、マスジェデ・ナスィロール・モスク、又の名を「薔薇のモスク」という。
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エイヴァーンから、花にあふれていて、現代人には人気があるのだが、当時(19世紀)には、モスクらしくない色合い(赤やピンクを多用)と、ヨーロッパ風の建物(ミナレット、タイルに描かれた十字架のある家)などがたたって、人気が無かったとのこと。
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ところで、観光には、見学時刻が、とても大切な場合がある。ここは、午前中の斜光が、絶対条件で、これを外したら、やっぱり、ほとんど意味が無いようだ。中庭の池も、建物を映して、とても素晴らしかった
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が、礼拝堂を眺めたら、息をのむ美しさだった。確かに、30分も外すと、光線も違うし、人の数も違うので、7:30の出発に感謝感激だった。
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ここの感動も、どちらかと言えば、脚の方から襲ってくるような感激だった。スケッチは無謀にも思えたが、チャレンジしてみた。
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この後は、昨日の後半の道を、そっくり逆行して、ペルセポリスへ向かった。行く途中、滝が上から流れていたので、不思議な気がした。というのも、シラーズには大河が流れているはずなのだが、現在は、涸川だからである。滝の手前に、旅人姿の像があったが、イランのマルコポーロにして、もう一人の国民詩人でもある、サアディーらしい。
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彼は、インドからモロッコまでを放浪したとされているが、活躍した時代は激動期だった。晩年は、イル・ハン朝の創成期に当り、朝廷の人物と交流があったことから、ディバ氏の評価は、低そうだった。

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