岩国城・錦帯橋 ぐるっと長州 秋游の旅①

ぐるっと長州 秋游の旅2018                2018.11.4~11.12
 プロローグ イランの旅の余韻が残っているうちの、「ぐるっと長州秋游の旅」である。本来は、1、2週遅ければ、紅葉のベストのシーズンなのだが、長いドライブでは、何といっても、冬の到来が一番の天敵なので、霜月の上旬に旅立つことにした。前夜は、ペルセポリスと名前の、イランのチームが、アジアナンバーワンの座をかけて、鹿島アントラーズと激闘を展開していたし、出発当日は、トランプのイラン制裁の話題が、トップニュースだった。ちょうど1年前に、「秋の安芸旅」を実行した。もちろん、宮島へも行ったのだが、目の前にある、岩国城へは、行きそびれた。安芸の国(広島県)まで旅をすれば、次は、お隣の長州(山口県)に行きたくなるのは、単純だが、自然の流れではある。旅のミッション(任務)の一番は、日本100名城スタンプラリーである。山口県には、紹介した岩国城の他に、萩城があり、萩といえば、萩・津和野と、まるで萩のお隣みたいに思われている街が津和野なので、ついでに、津和野城も回ることにした。やっつけ仕事だが、せっかくの長州なので、司馬遼太郎の「街道をゆく」をめくったら、1巻に「長州」が出てきた。司馬氏によれば、長州に行く、目的の一つが、「なぜ長州人が、権力にしがみつくのか」ということを、解明するため、と書いていた。思えば、時の宰相は、長州人であり、司馬氏がここを訪れたのは、60年よりも昔のことなのだが、話題が、色褪せていないのに、驚かされた。自分としては、長州は、言葉の達人が多く生まれた国なのに、今の宰相は、なぜに言葉がうつろなのだろう、という疑問である。計画の段階では、中原中也と金子みすゞの記念館には行きたい、というのが希望だった。そして、にわか勉強で、「高杉晋作」を読んだので、彼の史跡に行ければ、最高、というのが今回の旅の予定(ミッション)だった。
 初めの日(11/4) 計画は、5:00出発だったのだが、自分としては、限りなくこれに近い、4:20に出発した。岡山あたりまでは、何回もドライした経験があり、ここのところ、定宿としていたのは、倉敷のホテルだった。自分のドライブの実力的には、良いポイントなのだが、ICから、街中に入るのに、いつも渋滞するのがネックだった。そこで、今回は、多少遠くても、ICから近い宿を予約して、広島県の河内ICで下りた。ガソリンは、車のデータ的には、ギリギリなので、吉備SAで、10liter限定で、給油した。宿は、バブル時代の、ゴルフ場のゲストハウスで、何よりも、温泉が豪華なのが良かった。
 二日目(10/5) この日の予定は、昨年のリベンジで、岩国城なのだが、ロープウエイの時刻が、9:00なので、それに合わせて、7:17に出発した。すぐに河内ICに入ったのだが、気温が4℃なので、びっくり仰天だった。やがて、山陽道最高標高375mポイントを通過すると、長い下り坂に入った。やがて、昨年、安芸の旅で降りた広島ICを通過した。しかし、この先も、数年前、熊本までの、ロングドライブで経験済なので、安心である。やはり経験というものは、力になる。その時に、宮島SAの絶景が良かったので、今回もこちらで休憩した(7:06)。その時には、宮島と瀬戸内海の絶景に、目を奪われたのだが、今回は、大きな鳥居があるのに、気が付いた。
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売店で、もみじ饅頭を買って、すぐにもどり、7:51に岩国ICを下りた。錦帯橋へは、右折の標識なのだが、左折して搦め手のルートで入った。
 錦帯橋は、4度目の観光だが、東京から離れた観光地としては、多い部類だろう。現代のドライブでは、高速を走るので、錦帯橋に寄ることはないが、古のドライブでは、国道2号線のすぐ側なので、つい、寄ってみたくなる名勝だった。河川敷の駐車場に車を停めて、橋の下から鑑賞
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した後は、錦帯橋を途中まで渡った。お城の見える場所まで歩き、写真を撮ってから、引き返し、今度は、ロープウエイの駅に向かった。橋は4度でも、城は2度目である。通常、ツアーでは登城しない岩国城に、ツアーの昼食を抜け出して、無理矢理登った苦い経験があるので、今回は、景色を楽しんで歩いた。居館跡(御土居)のお濠があり、まるで櫓のような立派な錦雲閣があった。
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ロープウエイの始発は9:00なので、当然始発に乗り込んだ。途中、ロープウエイから眺めた、下界の景色は、本当に鳥肌が立つ絶景だった。上の駅からは、橋が見えないので、橋を見るのには、城までのミニトレッキングを要する。途中には本格的な石垣があり、山城に、石垣が必要なのか、とも思ってしまうのだが、10分も歩けば、復興天守閣に至った。
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天守閣の博物館は、どこも似たり寄ったりだが、こちらには、名橋のコーナーが珍しかった。もちろん、その前に、100名城のスタンプをゲットしたことは、当然である。天守閣は、観光的に、錦帯橋の見える場所に建てた、ので、確かに錦帯橋を見るには、絶好のポジションにある。
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かつて、М子が、トレドに負けない、と評していた絶景をスケッチして、下りはやや急いで、9:30のロープウエイ(貸し切り状態)で、下山した。帰りは、錦川を渡って、表コースを走って、岩国ICに戻った(9:51)。途中のGSで、たっぷり給油が出来て、車もゴキゲンになった。岩国からも、山陽道は、トンネルを利用して、どんどんと下って行った。途中、徳山辺りの瀬戸内海が見えるポイントはあるが、ほとんどは山の中だった。防府東ICを下りたのは、10:40だった。防府は、結構な都会だった。山懐の、毛利邸へは、10分ぐらいで着いた。広い駐車場から、毛利邸まではゆったりとした道を歩いた。さっそく切符を買って、毛利邸へ入った。正確には、毛利博物館なのだが、建物そのものは、毛利邸である。
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このような、邸宅は、たくさん見てきたはずなのだが、ここの邸宅は、私邸なのに、大正天皇や昭和天皇が、お泊りになったこともある、迎賓館みたいな邸でもあった。スケールがものすごく大きく、それでいて、成金のような嫌味が無いのは、さすがに、格式ある大名の邸宅である。特に、二階からの眺めは素晴らしかった。
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最後に、博物館そのものを見学した。たまたま、国宝展をやっていて、グッタイミングだった。画聖雪舟が、中国での送別の詩があったのだが、首筋からゾクゾクする不思議な感覚を味わった。それ以上に感動したのが、「四季山水図」という大作だった。冬の、雪山からスタートするのだが、自分的には、ロバのひょこひょこ山登りをする姿が、可愛かった。毛利氏というのは、神奈川県の毛利荘から来ているらしいのだが、もともとは大江氏という歴史のある氏で、その証拠の、高野切れの古今集や史記の写本などという国宝もあり、さすが大大名の毛利氏だった。毛利氏と言えば、元就が一番有名だが、とても細やかに気を配る人だったらしく、多くの書が展示されていた。お昼になったので、併設のカフェで、ランチにした。
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プレミアムカレーと、チャーハンをシュアしたのだが、どちらも、抜群においしかった。ここから、歴史の道である萩往還を走って、県都山口へ向かった。約12㎞のドライブだった。

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