ビブロス遺跡 東地中海(レバノン・キプロス)物語②

初日(4月14日) 夜の遅いフライトなので、。午後、後泊予定のNホテルで手続きをして、時間があったので、コーヒーブレイクした。ホテルのロビーには、鯉のぼりが飾られていて、周りには、桜の花が最後の名残を見せていた。
 『平成の 名残成田の 花吹雪』(さよなら平成 令和うきうき)
 今回初めて、エミレーツ航空を利用した。ドバイ空港経由で、ベイルート空港に向かった。
 2日目(4月15日) 「中東のパリ」ことベイルートへは、1時間遅れて着いたが、生憎のお昼時だった。その為なのかどうか、入国審査が、1時間以上かかる、手際の悪さだった。これはまあ、「中東」の現実なのだろう。ベイルートは、大都会で、車が多かったが、日本車も、まあまあ走っていた(さすがに、ゴーンさんの影響で、ニッサン車が多いのだが、他の日本車も多く見かけた)。バスは北へ向かったのだが、左手に地中海、右手には、熱海のような山が続いていた。昔は、オレンジ色の屋根の建物が多かったらしいのだが、現在は、ほとんど再開発されていて、コンクリート製の無機質なビルディングになっていた。瞬間に、ドッグリバーの渓谷を見たが、やがて、最初の見学地である、ビブロス遺跡に着いた。まずは、腹ごしらえ、ということで、シーサイドのレストランへ行った。雨がパラパラと降っていて、「一時雨」という、事前のレバノンの天気予報が、バッチリと当たっていたことに、驚いた。レストランは、最初にサラダが出てくるのだが、前菜の種類が多いのが、レバノン料理の特徴のようだった。メインの料理も、シュアするスタイルで、豪快な唐揚げが美味しかった。食事中は降っていた雨が、見学のスタートで、止んだので良かった。ビブロスは、エジプトから輸入したパピルスを商っていたので、この名になった(ギリシャ名)らしい。しかも、この町の名前から、バイブルという名前が生まれた、といわれている。しかし、この町の神髄は、世界最古の都市であるとともにフェニキア文字を発明したことだ。
遺跡と言えば、自分的には、トロイの遺跡が思い浮かぶが、あそこは、海が後退していて、想像の中で、大海原を思い浮かべなければならないが、ここは、海が現役なのがうれしい。レストランのある港からは、ビブロス遺跡の丘が眺められ、黄色い野の花の色と、十字軍の城塞とが、違和感がなくミックスしていて、期待に胸が膨らむ感じがした。
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遺跡見学の最初は、十字軍の城塞見学だった。入り口付近に、古代の遺跡があった(泉の女神の神殿跡)。登城の道は、十字軍の昔は、跳ね橋だったようだが、現在は、石をこまめに敷き詰めたようなオスマン時代の舗装との解説だった。
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驚いたのは、建築の素材に、古代遺跡(ローマ遺跡)の石材を、思う存分に使っていて、特に、円柱の柱を、壁面の所々に、円柱の丸い形が見える角度にはめ込んでいて、斬新な模様だった。
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解説によると、地震対策の柔軟構造というのだが、インパクトがあった。「天守閣」の近くまで登ると、遺跡全体が見渡せた。古いものは、新石器時代・青銅器時代から、一番重要なフェニキア時代(BC3000)、そしてローマ時代を経て、十字軍の要塞(12世紀)である。オスマン時代には、遺跡の上にオレンジ色の建物が立ち並んでいたらしいのだが、一棟だけ、「歴史」の承認として残していた。ちょうど、オレンジ色が、風景のアクセントになっていて、個人的には、好感が持てた。
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年表によれば、BC3000年頃、カナン人(フェニキア人の先祖、ほぼ同じ意味)が、定着して、主に、エジプト方面との交易をおこなったようで、象形文字の他、エジプト風の人物画や、オベリスクなど、エジプトの影響が濃いものだった。添乗員のHさんによれば、フェニキアの造形は、オベリスクにしろ、神像にしろ、ずんぐりむっくりが、特徴などと、表現していた。ビブロスの、発展の要因は、海と山とに近く、水があった、ということで、歴史のある、古い井戸(泉)があり、我が町のマイマイズという形と同じなのが、興味が深かった。
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ビブロス遺跡最大の「売り」は、ここに王墓(深い穴構造)・石棺があり、その石棺(アブラム王)に、フェニキア文字が、書かれていたことである(良いものは、この石棺に限らず、国立考古博物館に収められている)。話は戻るが、十字軍の要塞
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は、その一部が、ミュージアムになっていた。そこに、本物の「フェニキア文字」の、石板があって、とても感動した。
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当時のフェニキア人が大切にしたのは、地母神にして、ビーナスの先祖ともいわれる、バーラト・ゲバルを祀る神殿だったようで、現在は、神殿の囲いの石垣しかないので、見栄えはあまりしなかったが、周囲は、お花畑で、遺跡に興味が無くても、結構楽しめる季節だった。昨年の、イランのパサルガダエで、今は枯れ野原だが、春は花が一杯に咲く、という話を思い出してしまった。遺跡の一番複雑な部分は、下にエル字型神殿があり、上にオベリスク神殿
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が重なっている、というところだった。オベリスク神殿からは、青銅製の「兵士」が発見(現物は、ベイルートの考古学博物館)されていて、近くに「移築」されていた。この近くには、ローマ劇場も重なっていて、大半の「石材」は、どうやら、十字軍の要塞建築に使われてしまったようで、全く別の、海沿いの景勝地に、5分の1サイズ゛で「復元」されていた。
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近くに、ローマ時代の神殿の列柱(コリント様式)があり、柱の材質は、近くにはなかったようだ。特に、そのうちの一本は、エジプトから運ばれたと思われる、朱い花崗岩なのが珍しく、いつの時代も、先にあった遺跡の建造物を再利用していたことが分かって、微妙に面白かった。
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ローマ時代には、どこにでもあるような、ローマ式の都市に改造していたらしく、立派な直線道路は、一部はそのまま、現代の道路になっていて、車が走っていた。だった。遺跡見学を終えて、戻る途中に、教会があったのだが、十字軍時代に、ベネチアが作った教会を、オスマン時代に、馬小屋にして、現在は、再びマロン派の教会として、リノベーションした、との話で、まるで、歴史の万華鏡のような感じがした。
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ビブロスや 歴史の花の 万華鏡』(古代の井戸は マイマイズなり)
最後は、海岸線を北上して、あと15分でトリポリ、という地点で、山の中のドライブになり、大きな谷沿いにドライブした。渓谷の名前は、カディーシャ渓谷、というのだが、個人的には、オーストリアのエッツタールに似ていると思ったが、座席の関係で、写真が撮れなかったのが、残念だった。この地域は、マロン派の牙城みたいなところで、立派な教会や修道院が目立っていた。やがて、白銀の山並みが見えてきて、標高1500mあるという、プシャーレという町の、小さなホテルに投宿した。

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