中東のパリ ベイルート散策 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑧

国立博物館のあたりは、前にもふれたが、内戦の激戦地だった。建物も、随分と銃弾の痕があったらしい(1点、銃眼の痕のあるモザイク画が展示されていた
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)が、現在は、修復されていた。内戦時代には、グリーンラインだった道路をしばらく走り、イエローハウス(正式には、ベイト・ベイルート=ベイルートの家)というものを見学した。
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イエローハウスは、一人の女性(建築家のモナハラク氏)が、政府の方針に逆らっても「内戦博物館」として、保存公開している施設だった。似たようなものは、サラエボでも経験したので、初めは、弾丸の痕が凄い、とシャッターを切っていた。
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中に入ると、まるで、原爆ドームのような、迫力だった。バルコニーの上の階まで登ると、内戦時の写真が展示されていた。これも、「貴重」なので、初めは、シャッターを切っていたのだが、ガスマスクを付けた街頭の写真
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を見て、余りにも悲惨な写真に、胸が詰まって、涙が込み上げてしまった。それ以降は、とてもシャッターを切る気分になれなかった。写真の側に、髭面の精悍なお兄さんがいて、これは、自分だよ、みたいなことを話していたのだが、正確には、彼はカメラマンで、これらの、内戦の悲惨な場面を撮影した「戦場カメラマン」だった。
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わざわざ日本人が、この資料館を訪ねてきてくれたことを、フェイスブックに載せて良いか、という話になり、皆で記念の写真を撮り、メンバーの一人が、メッセージを話した。もともと、この建物は、写真館だったそうで、1Fには当時、写真館で撮った写真も展示していて、落差の激しさを思った。この一角は、中東アラブというよりも、ヨーロッパの単なる町のような雰囲気だった。
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次の見学地は、海の見える、ベイルートの、「中心」へ行った。大きなモニュメントがあり、「犠牲者の碑」(対オスマンの犠牲者)、との説明だったが、何と、内戦のために、銃痕の穴が開いていた(そのまま保存)のが、痛ましかった。
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ベイルートも、フェニキア古代都市のひとつで、当然港町なのだが、もう一つの条件である「泉」が湧いていたらしく、ベイルートの意味も、そのような意味らしい。古代の遺跡は、概ね地下なのだが、シドンのそれと同じように、海に面した位置に、古代キャラバンサライの跡があった。この近くに、レバノンでは最大のモハメド・アミン・モスクがあり、寄進した人の名前から、ハリーリ・モスクというらしかった。ハリーリは、内戦の途中で、爆殺された。レバノンでは、カリスマ性のあった政治家(元首相)で、余りにも「皮肉」過ぎて、可愛そうなのだが、モスクのお披露目が、ハリーリのお葬式だった。新しい建築物なのだが、物凄く大きいシャンデリアがあり、威厳を保っていた。
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ただ、現代建築ではあっても、レバノンの歴史を象徴する様式(マムルークの様式や、オスマンの様式などなど)なので、違和感は少なかった。モスク前の広場には、彼の慰霊碑があり、その後方には、彼と運命を共にしたボディーガードの棺の形のモニュメントもあって、改めて、内戦の惨さを感じた。この一角は、ベイルートの、あらゆる宗派の「寺院」が集まっていて、「寺院」の博覧会のような感じがした。
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イランでも見たが、アルメニア教会が、やや珍しかった。マロン派の教会(聖ジョージ教会)は、内部の様子(撮影禁止)が、どちらかと言えば、カトリックに近かった。
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(手前がモスク、右手奥が教会)ドラクロアの絵が2枚あり、マリア様はとても清楚で良かった。正教会寺院にも入った(撮影禁止)。教会全体が、イコン風の壁画に覆われているのだが、異教徒にとっては、「最後の晩餐」などの、知っている場面が、興味深かった。
グランド・モスクは、歴史的に価値のあるモスクとのことで、古くは、古代の神殿だったらしく、柱そのものが、古代の柱だった。
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印象も、モスクというよりも、神殿のような感じだった。近代ベイルートの中心は、その名もエトワール広場で、名前だけでも、中東のパリと言われた、ゆえんが分かる。凱旋門の代わりには、時計塔が建っていた。大通りのテラスカフェも再開されていて、平和なベイルートになって、本当に良かった、と思った。ただ、とあるビル内にあるカフェのテーブルに、ハリーリの写真がおいてあり、彼の「定位置」だったらしい。ベイルートの不思議なところは、普通のカフェのメニューに「水煙草」があり、若い女の子が、「平気」で吸っていることだった。最後に、ローマ浴場跡を見学した。丘の斜面を利用した浴場で、ガイドさんによれば、ローマの伝統が、中東のハマムに続いている、との説明だった。斜面の上は、首相官邸だったが、そこまでは、足を延ばさなかった。ここから、バスの「乗り場」に行く途中で、ジャカランダ満開の並木を見た。
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日本のジャカランダと違って、ソメイヨシノのように、葉っぱが出ていなくて、満開に咲いていて、とてもビューティフルだった。ただ、時間の関係で、日陰なのが、残念だった。
ジャカランダ 咲くや地の果て ベイルート』(サライの先に 地中海見ゆ)
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途中に、前衛建築のザハ・ハディド氏の建築現場が見えていた。
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観光ではないが、ベイルート・スークも通った。モニュメント風に残された、唯一の建物
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を除き、超の付く現代的なモールで、昔のスークが、誰でも行ける施設だったのに、現代のものは、お金持ちの「御用達」になっている、との批判もある、という話だった。
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バスに乗って、空港に向かう途中で、ハリーリ爆殺暗殺現場を通過した。空港へは、海岸を走り、猛烈なラッシュの中を、5時過ぎに着いた。乗っている時間が28分という、国内線よりも近いような国際線だが、イースター休暇で、レバノン人が多く、満席だった。聞くところによると、レバノン人にとってのキプロスは、国内旅行の感覚で出かける旅行先、とのことだった。フライトは、20:00の予定が、20:40に遅れたが、中東の人たちにとっては、ほぼ「定刻」の感じだろうな、と思った。キプロスの空港では、入国審査が、すごく混雑していた。Hさんの手腕で、蛇行をカットする荒業で、進むのは、冷たい視線を感じたが、最終的には、EUのブースが終了した後を、「日本のお客様優先」ということで、1時間ほど早く入国出来て良かった。リマソールの空港からは、50分ぐらいで、ニコシアのホテルに着いた。

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