モネの庭 国道493号 とことこドライブ西遊記②

 二日目(6月14日) 梅雨のさなかではあるのだが、四国は、まだ梅雨には入っていないそうで、曇り空だった。ナビで調べたら、高速回りで、150㎞、国道55号では、130㎞ということだったが、予定通り、国道を南下することにした。街中のドライブは、嫌なものだが、初めは片側3車線なので、真ん中をトコトコ、2車線になってからは、左側をトコトコと、慎重にドライブした。このルートは、遍路でも走ったので、懐かしくもあった。予め、日和佐の道の駅をセットしていたのだが、高規格道路(日和佐道路)は、初めて走った。道の駅は、遍路でお世話になった薬王寺の真ん前にあり、懐かしかった。今度の参議院選では、徳島と高知とは、一つの選挙区らしいのだが、前回のお遍路で休憩した宍戸の道の駅を過ぎたら、高知県へ入った。余りにも、あっけなかったので、びっくりしたが、地図で見ると、高知県は、相当に幅が広いことが、確認できた。国道55号線というのは、方向を変えて、一度ずつ走っているので、今回は3度目である。今回の目的が、室戸岬ではなく、「モネの庭」なので、海岸線を行くか、三角形の一辺を抜ける山道(国道493号)を走るか迷ったのだが、この時点で、雨が降っていなかったので、地図で見る限り、いかにも近そうな、山道を走ることにした。最初は、快適な川沿いのルートだったが、やがて、普通の田舎道に変り、登りにかかると、完全な、林道に変貌した。もし、舗装が古そうだったら、戻りたくなるのだが、舗装だけが、なぜかピカピカに新しかったので、何と我慢して登り続けた。
 北川村の表示が出たところが、峠(四郎ヶ野峠)だった。
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難路を走り抜けた我々を祝福してくれるような、古道(何と、貫之も歩いた古道だった)の風景が、我々を待っていて、ちょっと感激した。薩摩古道の時には、ちょっと、歩いてみる余裕があったのだが、こちらの、土佐古道(正しくは、野根山街道)は、それ程の余裕もなく、写真だけで満足して、峠を後にした。傾斜は、北川村側の方が、緩やかにも思えたが、その分、今度は、下り道が長かった。若かりし頃に、林道ドライブが大好きで、その経験が無ければ、嫌になりそうなくねくね道を、どんどん下りてくると、ようやく、里道らしい道路(右折すれば、あの馬路村)に出たが、雰囲気として、紀伊山地の十津川村をドライブした時のことを思い出すような、川沿いのドライブだった。この後、中岡慎太郎の生家を見学したのだが、慎太郎が脱藩したコースは、今回、我々がドライブしたコースの逆で、山越えをして船で上方経由長州へ、向かったらしかった。ついでに言うと、龍馬と慎太郎が、最後に襲われたときに、ダミーとして使われたのが、十津川藩士だったことを思えば、今回、この山越えルートを走ったことも、意味があったことのように感じた。この道を走っている時点では、慎太郎の生家の位置が不明だったのだが、集落を二つばかり通過して、北川奈半利道路に入るところで、何となく胸騒ぎがして、車を停めてみた。辺りをよく観察したら、ちょっと先に、中岡慎太郎生家の標識を見て、ほっとした。最初に記念館を見学した。実によくできた、記念館で、実物が、やや不足していることを除けば、鄙にはまれな、良い記念館だった。慎太郎
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は、この村の大庄屋(郷士)の子として、成長し、遠くまで勉学に通い、やがて、高知に出て、活躍をした。昨年、長州への旅をしたのだが、高杉晋作の漢詩を書いた書や、木戸孝允に書いた手紙などもあって、慎太郎が、薩長同盟に、深く関係していたことを、知ることが出来た。近くに、萱葺きの堂々とした生家(復元)があり、よく管理されていた。
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ここからは、いったん、高速の入り口まで戻り、途中のICを下りたところに、「モネの庭」があった。入場券を買って、プロムナードを登っていくと、季節の花(アジサイなど)が咲いていて、期待を抱かせてくれた。登っていくと、いきなり橋があり、この橋が、どうやら、太鼓橋を模した橋だった。
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目前に睡蓮が池いっぱいに咲いていて、ジーンと感動してしまった。睡蓮は、咲き始めらしく、初々しい感じの花で、気持ち良かった。ところどころに、モネの絵のレプリカが飾られていて、実景と対比する仕掛けになっていて、これも、興味深かった。
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薔薇のアーチは、残念ながら、花は終わっていたが、モネが座っていたレプリカの椅子に座って、記念写真を撮ってきた。この日は、慎太郎生家辺りでは、雨が降っていたのだが、「モネの庭」では、ほぼ止んだ状態だったので、助かった。時刻は、お昼になっていたので、併設のレストランで、昼食を取ることにした。「モネのハヤシライス」を注文したのだが、まま事のような焼き野菜がきれいに並べられていて、見ても美味しかったが、食べても美味しかった。
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ゆっくりしたので、2時間以上滞在してしまった。再び国道55号線に出て、南国市の宿に向かった。途中、お遍路で行った、神峯寺もあったが、今回は、もちろんパスした。安芸市に入ると、岩崎弥太郎生家の看板があったので、右折した。途中に、野良時計の標識も見えたので、寄ってみた。昔から、安芸の野良時計として、有名なものなのだが、実物を見ることが出来て良かった。
三菱財閥の祖である、岩崎弥太郎
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の生家は、道が狭かったが、近くに駐車場があり、車を停めることが出来た。記念館はなく、入場は無料なのだが、観光バスも来るぐらいの人気観光地になっていた。
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三菱のスリーダイヤのもとになった、岩崎家の家紋のある蔵が、修理中で見ることが出来なかった。このことを、駐車場で話していたら、ボランティアの人が、側にある家にも、同じ岩崎家の家紋がある、と密かに教えてくれた。この家は、生家のハウスキーパーの家で、今でも人が住んでいるので、公開していない、とのことだった。安芸から、南国までも、それなりの距離があったのだが、途中に、高知東部自動車道が開通していて、何とか、遅くならない時間に、宿に着くことが出来た。南国市は、田園都市のはずだが、雰囲気は、高知市の周辺都市の感じで、すっかり自然が破壊されている感じがした。

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