猫の家 リガ旧市街Ⅰ バルチック琥波句旅日記⑪

六日目(10月6日) 予定では、リガの半日市内観光後、午後はフリーの日なので、9:00に出発した。ガイドは、ラトビア美人のUさんだった。バルト第一の大河であるダウガヴァ河を渡った。リガは、大昔は、密林と沼だったそうである。畑や牧草地は、人間が作り上げた景観なので、その指摘は、なるほどと思った。大河ダウガヴァを利用して、リガの地から、古代ギリシャまで交易をしていた、との説明だった。バルトの地から、ローマの貨幣が発掘されたことは知っていたが、ギリシャは、初耳だった。リガは、旧市街と新市街とに分かれるのだが、リガ旧市街の歴史は、ドイツ人司教アルベルトが、13世紀に、この地に宣教を始めたことに拠る。そして、この時建てた教会が、聖ペテロ教会である。ただし、教会を守るためには、騎士の力が必要だったので、常設の城として建てられたのが、リガ城である。リガ城の外濠に当たる現在の運河の内側が旧市街、外が新市街、という区別が分かりやすい。途中、リガ城を車窓より遠望(中景)したが、現在は、大統領官邸があるとのこと。最初の見学は、存在感が凄い、丸い形の火薬庫だった。DSC09501火薬庫.JPGここは、今は、軍事博物館になっていて、サハリンで、抑留中の日本人を助けたラトビア人軍医に渡された、感謝の日の丸(命がけで持ち帰った)を、展示しているらしい(フリータイムで見るつもりだったが、すっかり忘れて残念)。火薬の発明で、無用になった城壁を次に、見学した。DSC09502城壁.JPG内側の、アーチ型の凹みは、マーケットにも使用されたらしい(フリータイムで、別の場所の城壁に行ったら、言葉通り、店がならんでいた)。現在の城壁は、建物の中に吸収されているのだが、スウェーデン門は、唯一残された城門である、とのこと。DSC09511スウェーデン門.JPGスウェーデン時代の兵士と地元娘の悲恋の場所でもあった。門のコーナーに、大砲が置かれていたが、これは、荷馬車がぶっつけるので、ガードレールの役をしたらしい。この辺りは、中世の道の雰囲気が残されていた。道路の幅は、槍の幅だったらしいが、2階の部分が、せり出しているのが、面白かった。中世は、衛生の面では、水が心配だったので、水代わりに、子どもも、ビールを飲んでいた、と嘘のような話もしていた。次に、「猫の家」を見学した。DSC09516猫の家.JPGギルドに背を向けた猫の話しは知っていたが、ギルドの本部は、真ん前の家なので、なるほど、強烈な皮肉だったようだ。ギルドは、権力が強かったので、ロシアの商人は、城内には、泊まることもできなかった、と話されていた。ちなみに、城内は石造り、城外は木造りの家が義務付けられていて、ナポレオンが来た時には、城外の建物は、取り払われた、との説明だった。ちなみに、中世の農奴は、城内が駆け込み寺の役割をしていて、城内に1年と1日を経過すれば、自由の身になった、とも話されていた。その後、自由記念碑の前を通った。1935年の独立記念碑なのだが、作者がロシア彫刻家の恩師だった縁で、取り壊しは免れたらしい。しかし、厳しい監視の下に置かれ、花を手向けるだけで、反逆の意思とみなされ、厳罰を受けたらしい。独立記念碑の前には、足跡のモニュメントがあった。DSC09524足跡.JPGこれは、1989年の「人間の鎖」の記念モニュメントなので、自分も記念写真を撮ってきた。オペラ座の前を通った時には、「百万本の薔薇」は、リトアニアの歌だ、とも紹介していた。別の場所で、百万本の薔薇を辻音楽家が演奏していて、ジーンときたのだが、生憎チップの小銭が無くて、断腸の思いだった。旅先の音楽で、胸ジンは、時々経験するが、今回は、辻音楽家の「百万本の薔薇」が、一番に胸に響いた。

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