ユーゲントシュティール リガ新市街 バルチック琥波句旅日記⑫

 旧市街から、バスに乗って、新市街へ行った。新市街は、新開地であり、普通の近代都市であることが多いのだが、リガの新市街は、「ユーゲントシュティール建築群」という世界遺産に指定されている。ユーゲントシュティールはドイツ語だが、日本人には、アールヌーボー(フランス語)が馴染みやすい。さらに言えば、エミール・ガレやミュシャが、アールヌーボーのアーティストとしては、有名で、建物では、サグラダファミリア教会が最も有名である。どちらかと言えば、世紀末に花開いた様式だが、ここリガでは、1900年から1915年の第一次世界大戦の間まで、わずか15年間に、800棟ものアールヌーボー様式の建物が建てられたそうで、20世紀初頭の、リガの繁栄の具合が、しのばれるというものである。これらの建築群は、ほとんどがアパートだったらしい。これは、リガの工業化が著しく発達した証拠でもあるようだ。先に、ラトビアにおけるロシア人の割合に触れたが、25%とのことで、ソ連時代に、工員としてラトビアに来た人が多い、との説明だった。そういえば、リトアニアは、農業国なので、そんな事情(%が低い)も加味しているのだろうと思われる。アールヌーボーの時代は、工業化が進んで、心がギスギスしてきた時代なので、自然回帰で、植物や動物のモチーフ、さらに人間の色々な表情を豊かに、表現していて、時に、ユーモアもあり、面白い。DSC09550アールヌーボー.JPG最初に見学したビルは、屋上の隅で、読書をしていた。また、巨大な女性像があり、高さが何と4mとの話だった。バルコニーや、出窓も、特徴の一つであるらしい。それら、建築群の一つである、アールヌーボー博物館に入った。旅人としては、アールヌーボーの建物の表面の装飾ばかりに目を奪われるが、そもそもは、建築を越えた総合的な芸術運動(様式)なので、室内装飾や、家具などにも見どころは多い。DSC09536室内.JPG悪く言えば、装飾過多なのだが、室内も、植物などのモチーフで、色彩が豊かなに飾られていて、楽しかった。ステンドグラス、家具などの装飾も、植物柄で一杯だった。ただ、コーヒーメーカーや、冷蔵庫もあり、セントラルヒーティングで、トイレも水洗で、電気も使われていたそうで、20世紀初頭の文化住宅でもあったようだ。ソ連時代は、単なる、アパートメントとして、使われたそうである。(言い忘れたが、ルンダーレ宮殿は、100年前ソ連時代は、ただの学校だった)
 『新浪や リガの都に 秋深し』(アールヌーボーとは ニューウエーブなり)
ソ連時代の、苦労話(パンや牛乳を買うために、1時間も並んだ、言論の自由もなかった)もされた。物質的にも、精神的にも、辛かったようである。この後、再び、旧市街に戻った。いきなり、場違いな巨大モニュメントがあり、ガイドは、さりげなく、ライフル大隊の碑ですと言って、さりげなく通り過ぎた。DSC09559ライフル大隊.JPG自分としては、苦労して調べた、バルト三国史でも、異彩を放った、ラトビアライフル大隊なので、慌てて、写真を撮った。ラトビアライフル大隊こそ、反ロシアだったリトアニアに対して、反ドイツ・親ロシアを鮮明にしたラトビアの、「証拠」だったからである。「国におけるロシア人の割合問題」は、こんなところにも、影響があるのでは、と睨んでいる。

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