こんな時に旅行かよ メキシコ自治大学 メキシコツアものがたり⑨

 六日目(2月25日) メキシコシティのホテルは、前半に2泊したので、合計して3泊目となる。ホテルの玄関を出ると、紫色のジャカランダの花びらが散っていた。背が高いので、気がつかなかったのだが、はるか上空に、ジャカランダの花が輝いていた。DSC00720.JPG今回の旅では、何度かジャカランダの花を見たが、普通は3月に咲くらしいので、ここメキシコも、地球温暖化らしい。この日は、成田へ向けて帰る日なのだが、まだまだ、観光は盛沢山である。最初の観光は、郊外の、国立自治大学だった。国立大学と言うので、日本の感覚ならば、入るのに難しそうに思えるが、実際には、入るのは易く(ただし、医学部と歯学部とは別)、出るのが難しい大学、との話だった。ここに留学して、メキシコで企業して、世界一の富豪になった人物(レバノン人カルロス・スリム)などもいて、なかなかインターナショナルな大学でもあるようだ。この大学は、壁画で有名なところだが、2007年に、世界遺産になって、「立派な観光地」に格上げされたらしい。地元の人は、大学都市(CUセーウー)と呼んでいるとのこと。大学内に、12のバス路線がある、との説明だった。バスを降りたところにスタンドがあった。メキシコシティは、盆地だが、背景に山が見えていて、気分の良い景色だった。
 スタジアムは、メキシコオリンピックのメインスタジアムである、と説明されて、感動した。DSC00723〇アップ.JPG君原や釜本などが活躍したスタジアムであり、スタジアムの壁画も良かった。スタジアムは、もともとオリンピック用のものでなく、オリンピックに転用したとのことだった。壁画は、未完成だが、オリンピックを意識しない作品なのに、見事に人類の「英知や寛容」などを表現していると感じた。今回の「メキシコ旅行」では、「メキシコの歴史」は勉強して、トロツキーの亡命までは勉強したのだけれど、壁画の勉強までは、手が回らなかった。解説では、スタジアムの未完の壁画は、メキシコ3大壁画巨匠のひとり、ディエゴ・リベラの作品とのことだった。実は、トロツキーのメキシコ亡命は、このディエゴ・リベラとその妻フリーダ・カーロの誘いによるものだったのだが、その後この3人は、三角関係になり、結末としては、トロツキーが、スターリンの刺客に、殺されてしまう。さて、大学の構内へ入っていくと、右手に小さな壁画、右手に大きな壁画が見えてきた。左手のものは、図書館を設計したオゴールマンによって描かれたもので、メキシコ産の石を使った、モザイク仕立てなので、修復が簡単、との話だった。リベラなど巨匠の壁画に比べると、迫力には欠けるが、なかなか面白い壁画だった。時間の都合上、正面の壁画を観賞した。今になって、思えば、壁画全体が、メキシコ全土に見られる雨の神の顔を表現しているようで、右と左とは、スペインによる、物理と精神の、二つの「征服」を表現した壁画とのことだった。DSC00729〇.JPG世界のキリスト教会には、聖書の世界を表現した「壁画」が、多数存在するが、メキシコの壁画も、おなじような、文字の苦手な人々に対して、メキシコの、アイデンティティを鼓舞するような内容であるらしい。メキシコは、1920年に、独裁者のディアス政権を倒して、メキシコ革命に成功するのだが、実情は対立が激しく、混乱状態だった。そんな中で、民衆を鼓舞するために、公衆の面に、壁画を描く運動が始まったようだ。そして、その中心になったのが、先ほどのリベラであり、もう一人が、シケイロスという革命家兼画家である。彼の作品は、入って右手の、鋼鉄の腕のような壁画があった。DSC00726アップ.JPGこの腕の先には、1520、1810、1857、1910、19??という5つの数字が書かれてあり、最後の数字は、20世紀中の「真の革命」を期待しているらしい。(せっかくなので、メキシコ史を復習すると、1520は、アステカ滅亡、1810は、メキシコ独立、1857は、メキシコ憲法、1910が、メキシコ革命の勃発)本当は、この建物の反対側に、「民衆から大学へ、大学から民衆へ」という、立体壁画があるのだが、修復中とのことで、残念だった。DSC00732アップ.JPG大学のキャンパスには、ジャカランダが咲いていて、気持ちの良いところだった。DSC00727.JPG

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